巨人原辰徳監督(61)が30日、9連勝中だった宿敵広島を破り、史上13人目の監督通算1000勝を達成した。巨人一筋では川上哲治氏(1066勝)、長嶋茂雄氏(1034勝)に次いで3人目で、12年の楽天星野仙一氏以来となる大台に到達した。

現役時代から取材を続ける記者が「人間・原辰徳」を描く。

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ひと昔前と違って短命監督が多い近年のプロ野球界では、原監督の通算1000勝は掛け値なしで称賛に値する記録だろう。

特に3度目の監督に就任した今季は93試合で53勝し、再建を託されたチームを着実に首位に導いている。野球の知識はもちろん、人心掌握術を熟知している原監督のカリスマ性に迫ってみた。

根っからの野球人だった父貢さん(故人)の長男として生まれた原監督。生まれながらの野球人がプロ野球選手になりたいと願ったきっかけは、小学生の時に食べたステーキだった。「プロ野球選手になったら、こんなにうまいステーキが毎日食べられる。プロ野球選手になりたい」という幼心が出発点だった。

東海大4年時は4球団から1位指名されたが「不思議なんだけど、当時は巨人に入るとしか思っていなかったんだよね」。予想通りに藤田監督が指名権を獲得。「念ずれば花開く」というが、念じるまでもなく、思い描いたプロ野球人生をスタートさせた。

実行力も抜群だった。プロ入り1年目に寮を出ると「毎日ステーキ」を実行。「おふくろも1週間ぐらいすると『今日もステーキでいいの?』と聞いてくるようになった。工夫して味付けを変えてくれたんだけど、10日ぐらいで『本当に今日もステーキでいいの?』と聞かれたときに『今日はいいや』ってなったんだよ」と笑った。何げなく話してくれたが、今でも薄い肉より厚い肉が好み。「牛丼よりビフテキ丼」と豪語するようにステーキへの執念が、プロ野球の世界に導いたと勝手に思っている。

優しい面もある。グアムキャンプで、今の吉村打撃総合コーチと同部屋になったとき。キャンプ初日、極度の暑がりだった吉村コーチが寝付けずにいると、翌日にはトレーナーとスエットパンツを購入。「俺はこれを着て寝るから大丈夫。クーラーはヨシ(愛称)の好きな温度にしていいからな」と緊張する後輩にひと言。

泥だらけで練習熱心だった村田真一氏(前ヘッドコーチ)にはキャッチャーミットをプレゼント。高卒で入団したばかりの村田氏はスーパースターからの突然のプレゼントに大感激した。心温まる話だが、本人は覚えていない。

名監督として欠かせない「厳しさ」も備えている。チーム再建を託された第2次政権の初年度、開幕ダッシュを決めるが、交流戦でケガ人が続出して大失速。Bクラスに沈んだ。「うまい選手はいらない。強い選手を使う」と大号令を発し、翌年にはV奪回した。なじみの理髪店では、頭皮を強烈な水圧のシャワーで洗浄するが「あんまり強いと、逆に髪の毛が抜けるんじゃないですか?」という質問に「選手と同じ! 弱いヤツは去れ、だ」と自らの頭皮にも選手と同じように厳しかった。

固定観念にとらわれず、臨機応変な戦術を駆使する。以前、次に生まれ変わるなら何になりたいか? という問いに「松」と答えたと書いた。

翌日の新聞を見て「お前、なんか俺のことで面白いこと書いたらしいな」との問い合わせがあった。「あまりに衝撃的な答えだっただけに、強烈に覚えている」と伝えると「覚えてないけど『自分でも言いそうだな』と思っているんだよ。その時の心境はそうだったんだろうなぁ」としんみり振り返っていた。植物の「松」に心があるとは思えないが、いつでもノンビリ、でもどっしりとしていられる「松の気持ち」を代弁できる感受性があるのだろう。常人とは明らかに違う感性を持っている。

とりとめもなく書いてしまったが、原監督を短い言葉で表現するのは至難の業だということだけは理解していただけたと思う。1000勝達成おめでとうございます!【小島信行】