阪神との“別れ”がこのような形で訪れるとは、夢にも思わなかった。生え抜きの鳥谷敬内野手が、球団から突然の戦力外通告を受けて去っていく。

阪神一筋で積み上げた試合数は「2169」を刻んだ。球団在籍した選手で歴代最多の数字が、阪神に忠誠を誓ってきた男の貢献を物語っている。

鳥谷とは弊社主催のトークイベントで、毎年のように交わり続けた。「自分に終わりが近づいているのは分かっています」と立場をわきまえていた。

鳥谷自身も“構えていた”はずなのに、阪神史上、最も試合に出てきた生え抜き選手に対するプロセスとしては、冷酷だった。

米大挑戦を断念した後は「自分にできることは何かを考えた時、阪神でプレーすることでした」と明かした。「12球団で一番最後まで野球がしたい」「年々勝ちたいという気持ちが強くなるんです」…。

プロ入りにあたっては巨人も、ダイエーも選択肢にあっただろうが、阪神を選んだ。誰よりもタイガースで優勝を…と思い描き続けた一番の選手だった。

あるオフ、知人の門出の宴で一緒に踊り明かしたことがある。鳥谷から促されたぼくも慣れないダンスに汗をかいた。「あんなにはしゃいだの初めてです」と照れたが、初めて素顔に触れた夜を思い出した。

巨人は阿部の引退で道筋をつけた。かたや、同じく長い歴史のある阪神でプレーしてきた功労者の引き際に触れ、「伝統とは?」を考えずにはいられなかった。【編集委員・寺尾博和】