広島緒方孝市監督(50)が1日、マツダスタジアムで会見し、今季限りで退任することを発表した。

緒方監督はストイックだった。球場入りは、ナイターでも午前9時台があたりまえ。就任5年目の今季も手を抜かずに全球団の映像をチェックし、研究は他種目にも及んだ。フィギュアスケート紀平梨花、テニス大坂なおみ、ゴルフ渋野日向子…。「この若さで勝てる子が、インタビューでどんなことを言うのか」。世界で戦えるメンタリティーを盗もうと、テレビ画面をにらみつけた。

緒方監督は不器用だった。失敗したら理由を説明すればいいのに、言い訳になるからと、それをしない。胸の内や手の内を知られることを嫌い、会見では常にガードを固めた。だから、ファンに伝えたい思いがたくさんあるのに、言葉足らずになることも多かった。キャッチーなことをぶち上げてファンやマスコミを巻き込んでいく「劇場型」「エンターテイナー型」の監督がいるとするなら、その対極にいる職人肌の監督だった。

緒方監督はナイーブだった。出身地の佐賀といえば「武士道とは死ぬことと見つけたり」の「葉隠」。だが、これを引用することを嫌った。「特攻隊で死んだ人の遺族が聞いたらどう思う? 本来の意味はそうじゃなくても、玉砕を賛美する意味と誤解する人がいるかもしれない」。被爆地広島で暮らす意味を考えていた。批判的な記事を目にしても気にしていないように見えたが、おそらくはいちいち傷つき、やせ我慢していた。

緒方監督は一本気だった。元監督の故三村敏之さんに心酔し、背中を追った。学んだことは、試合に入っていく準備の大切さと、ドミニカ共和国の選手を大事にすること。三村さんがロビンソン・チェコを復活させたように、ハングリーなドミニカ勢の力を引き出した。三村さんが5年間でマークした337勝を4月24日中日戦で超えたが、くしくもその試合で4番を務めたのがバティスタで、完封リレーをつないだのがフランスアだった。バティスタのドーピング違反は、皮肉というしかなかった。

優勝3回、4位が2回。すべての称賛と批判を受け止め、ユニホームを脱ぐ。緒方監督は誰にもまねのできないやり方でもがき、のたうち回りながら、5年間を走り抜けた。【広島担当=村野森】