東都大学野球リーグの4年生の進路がほぼ出そろった。ドラフトで指名漏れした国学院大・伊藤雅人内野手(4年=関東第一)は野球をやめ、新菱冷熱工業に就職。海外事業を積極的に展開している同社に入り、将来は発展途上国での人道支援を志す。

「スッキリしています」。ドラフト翌日、指名漏れした伊藤は笑顔で話した。

2つの夢があった。1つはプロ野球選手。もう1つは発展途上の国で人道支援の仕事に就くこと。1つの夢が破れた今、気持ちは海外へと向いている。

きっかけは中1の社会科の授業。全世界を100人の村に縮小して「幸せ」「平等」を考える物語「世界がもし100人の村だったら」の映像を見て、漠然と「プロ野球選手になって恵まれない人たちの支援をしたい」と考えた。

高2の冬、夢は現実味を増した。14年12月、東京都高校選抜に選ばれ東南アジア遠征に参加。ミャンマーでの自由時間に、こっそりスラム街へ足を運んだ。ゴミが散乱した街に人があふれていた。しかし子どもたちには笑顔があふれていた。「ひどい環境でも、人々は明るく僕に優しかった」。世界には学校にさえ行けない子がたくさんいる。野球ができても環境は日本とはほど遠い。「今、野球ができる環境は当たり前ではない」と感謝の気持ちがわいた。

人一倍練習した。大学4年間は全体練習の1時間前にグラウンドに出て、1時間半は遅く終える。努力は実り、3年春、4年春と三塁手でベストナインを獲得した。鳥山泰孝監督(44)は「取り組む姿勢がいい。メンタリティーは強い」。強い精神力があれば、どんな世界でも歩いて行ける。卒業後は、海外事業を積極的に展開している企業への就職が決まっている。「いつか発展途上の人々の生活に直接関われる仕事をしたい」。世界へ羽ばたく。【保坂淑子】

◆伊藤雅人(いとう・まさと)1997年(平9)9月4日生まれ、埼玉・越谷市出身。大沢北小で野球を始め新栄中では春日部ボーイズに所属。関東第一では1年夏から正三塁手として活躍し、2年春でセンバツ出場。3年時は、主将として夏の甲子園に出場しベスト4進出。国学院大では1年春からベンチ入り。178センチ、85キロ。右投げ右打ち。