名将野村克也氏の訃報の悲しみが球界に広がった。野村氏の阪神監督時代の教え子、阪神矢野燿大監督(51)も11日、日本ハムとの練習試合を行った沖縄・名護で恩師の死を悼んだ。

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恩師との別れは突然だった。矢野監督はこの日の練習前に訃報を知った。

「急なことなので…。びっくりで…」

矢野監督は現役時代、野村阪神1年目の99年に初めて規定打席に到達し、打率3割4厘を記録するなど、野村氏の教えのもと大きく羽ばたいた。悲しみを胸に日本ハムとの練習試合を見守り、試合後に思い出を語った。

「うまいものがレギュラーになれる、結果を残す、というものじゃないよ、と。頭で考えてやっていけば、そういう選手たちに追いつけるというのを教えていただいた」

選手時代に配られた「ノムラの考え」はバイブルで「染み込んでいる部分もある」と明かしたこともある。そして現役時代に1度だけ、野村氏から褒められたという。

「唯一、長崎で。試合の時に『お前もよく頑張ってるな』と。古田さんを例に挙げて。『古田もその時はいい投手陣じゃなかったけど、だからこそ学べる。だからお前も、しっかり今のうちに学んでおけ、頑張るんだぞ』と言っていただいた」

自身が監督に就任した18年10月には、東京にあいさつに向かい、直接報告した間柄だ。最後に会ったのは昨年6月の交流戦中。野村氏がテレビ番組の収録で甲子園を訪れた。

「あの時も足が悪い中、遠出はあまりされていないという話だった。でも『矢野やから会いに行く』というようなことを言ってもらっていたみたいで…。本当にわざわざ来ていただいたっていうのは感謝しかないし、(打率)3割を打てたり、20年間野球をやれたりしたのは、野村監督とやっていなかったらない」

厳しく“育てられた”が、感謝の思いは尽きない。

「トレードで来て、野村監督が阪神の監督をするという偶然が重ならないと今の自分もなかった。そういうふうに出会わせてもらったことに感謝。自分はすごくラッキーだと思うし、お礼しかない。本当に野球が大好きな方だった。その野球に自分が恩返ししていくことが野村さんの供養につながると思う」

野村氏について「野球界に、なんというのか、違う風というか、うまい人だけが残るんじゃないよ、というのを伝えられた監督だと思う」という。自身も新たなスタイルに挑戦している。矢野ガッツを代名詞とする、選手とともに楽しむ姿勢だ。

「頭で考えてやっていけば、強い相手にも勝てますし、自分の目指すところにいける、と教えていただいた。それを選手たちに伝えながら、プラス、楽しむというのを大事にしているので、選手と思いきり楽しみながら、ガッツポーズしながら頑張っていきます」

勝利を重ね、矢野ガッツを繰り出していく姿を、野村氏が天国から見守ってくれているはずだ。【松井周治】