日本ハムや近鉄で活躍し、今年1月に京都先端科学大の監督に就任した中島輝士監督(58)が、26日に開幕する京滋大学野球秋季リーグで初采配を振るう。秘密兵器は捕手では異例のスリークオーターで、プロ注目の喜多隆介(4年=小松大谷)だ。20日の立命大との練習試合でも盗塁を刺すなど自慢の強肩を発揮。中島監督は横振りを長所として矯正させず、「僕がスカウトなら取る」と評する逸材と、京都学園大時代の18年春以来の頂点を目指す。

  ◇  ◇  ◇

毎年のようにプロを輩出する立命大に、京都先端科学大は強烈な逆転負けを食らった。4点リードの8回に5失点。中島監督は「悔しい思いをして強くなるが、こんな試合をしていてはリーグ戦も勝てないよ」とナインにゲキを飛ばした。

今年1月、指揮官に就任。台湾プロ野球の統一や四国IL・徳島で監督経験はあったが、学生指導は初めてだ。「僕の子どもよりも年が下の選手たち。1日1日で状態が違う」と、教える難しさを感じる日々だ。

監督デビュー予定だった春季リーグは新型コロナの影響で中止。4年生の半数が引退したが、残った中でのイチ押し選手が、捕手の喜多だ。近鉄、日本ハムでスカウトも長年経験した中島監督が「僕がスカウトなら取る。プロの世界に入ったらこいつは勝負できる。打撃やインサイドワークはプロに入って覚えられるが、スローイングがいい」と絶賛する強肩自慢だ。

実は二塁送球は腕が横振りで、捕手では珍しいスリークオータのような投げ方。喜多は「小学校、中学校でサイドスローの投げ方だったので」と明かす。左打者の時に送球が当たりそうになるなど苦労したが、ステップや持ち替えを速くする工夫を重ねて進化。1・9秒台で速いと言われる二塁送球は最速1・78秒を誇る。中島監督も横振りを長所として縦振りに変えさせず、変わり種捕手としてプロに送り込みたい考えだ。

この日は立命大に2度盗塁を仕掛けられたが、1つは矢のストライク送球で刺し、盗塁を許した場面も際どいタイミングだった。喜多は「プロ1本で考えています」と秋季リーグを大事なアピールの場にする。

この日、緑と黒のストライプの練習試合用のユニホームで戦った中島監督は「スイカ畑ですよ」と笑った。「やるからには優勝」と目標を掲げ、選手たちを熱く熟させる。【石橋隆雄】

◆喜多隆介(きた・りゅうすけ)1998年(平10)8月25日、石川県小松市生まれ。矢田野小2年から矢田野ベースボールクラブで軟式野球を始める。南部中では硬式の小牧ボーイズでプレー。小松大谷では1年秋に一塁手の控えとしてベンチ入り。その後はベンチを外れたが、2年の秋から捕手に転向し、正捕手に。180センチ、83キロ。右投げ右打ち。

◆中島輝士(なかしま・てるし)1962年(昭37)7月27日、佐賀県生まれ。柳川(福岡)からプリンスホテルへ進み、88年ソウル五輪で日本の4番を務めた。同年ドラフト1位で日本ハム入団。89年ダイエーとの開幕戦で史上2人目となる新人開幕サヨナラ本塁打を放った。96年、近鉄に移籍し98年現役引退。通算641試合453安打52本塁打。近鉄や日本ハムなどでコーチを歴任し、台湾・統一、四国IL徳島では監督も務めた。19年2月に学生資格回復を認定された。