坂本勇人内野手(31)が、史上53人目の通算2000安打を達成した。初安打は07年9月6日中日21回戦(ナゴヤドーム)で高橋から。優勝争いの最中に放った劇的な1本が、すべての始まりだった。復刻紙面で延長12回の決勝打をもう1度!(所属、年齢など当時)
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<中日1-3巨人>◇2007年9月6日◇ナゴヤドーム
18歳のルーキーが死闘にけりをつけた。1-1の同点で迎えた延長12回2死満塁から代打で登場した坂本勇人内野手(18)が、中前へ決勝の2点打を放ち、原巨人に貴重な白星をもたらした。巨人の高卒1年目でV打を放ったのは1993年松井秀喜(現ヤンキース)以来。5時間15分の激戦を制した原巨人は、今日7日から東京ドームで7連勝と勢いに乗る阪神と激突。シーズン終盤の9月としては1985年以来22年ぶりとなる「GT首位攻防戦」に臨む。
ゆっくりと飛んだ打球の行方を、目で追いかけた。決勝打がグラウンドに弾むのを確認すると、坂本はようやく事態を把握した。「うわ~、落ちちゃったと思いました」。派手なガッツポーズも、笑顔もない。一塁上で西岡守備走塁コーチに握手を求められると、ようやく笑顔を見せた。
天王山でのプロ初安打が、松井秀喜以来となる高卒新人の決勝打。まだ喜び方も覚えていないルーキーが、5時間15分の死闘に決着をつけた。
新人でなくとも体が固まるほどの場面で、不思議と落ち着いていた。延長12回2死二塁から、小笠原が敬遠気味の四球を選んだ。「もしかしたら出番があるかもしれないと思った」。予想通り原監督から「坂本、行くぞ!」と声が掛かった。
4球目、高橋の速球を思い切り空振りした。「緊張はしていたけど、リラックスはできていた。直球を思い切り振ることだけ考えていた」。決勝打は詰まらされたが、振り切った分だけ内野を頭を高く越えて行った。これには原監督も「ハヤト、行って来い! と行ったら、飛んでってくれたよ」と目を丸くした。
今月2日に2度目となる1軍昇格をしたばかり。1軍での名古屋での遠征は初めてだ。最初に驚いたのはホテルのスリッパだった。「ジャイアンツって名前が入ってるんですよ。すごいですよねぇ」。北京でプレ五輪大会から帰国後、ファームで名古屋の遠征に来たが、待遇の差に驚いた。ささいなことで感動していた18歳が放った一打は、それ以上にチームとファンの心を揺さぶった。
あこがれの人との生活が、坂本をプロへと近づけていた。名古屋に遠征に来た夜、二岡と食事に出掛けた。プロ入り時の目標は「二岡さんのような選手になりたい」。試合前の練習では常に背中を見続けた。遠い存在だった先輩が少しずつ身近になった。「今では普通に話せるようになりましたよ」。目標とされる二岡は「僕を目標としてるようじゃ、ダメなんじゃないですか」と苦笑いを浮かべた。3打席目で出た初安打。理想へ向けて歩み出した1本でもあった。
中日との天王山を、新星の一打で勝ち越した。原監督も「野球人として最高の喜び。ああいう場面で期待に応えてくれた」と、あどけさなが残るルーキーの活躍に、賛辞を並べた。「打ったボールはかばんに入っています。寮に帰ってお母さんに報告したい」。今日7日、東京ドームへ行く前に1度、寮へ戻る。亡き母への感謝を告げてから、坂本は再び厳しいプロの世界に戻る。
▼巨人は延長12回、満塁で高卒新人の坂本が勝ち越し打。巨人の高卒新人がV打は、93年9月24日松井が広島戦で記録して以来、14年ぶり。松井はV打を3度記録しているが、延長戦ではなかった。今季の巨人は前日まで満塁の成績が89打数16安打の打率1割8分。満塁に弱い巨人打線だったが、坂本はプロ初の満塁機で結果を出した。



