阪神の元内野手で、700試合連続フルイニング出場の記録を持つ三宅秀史氏が3日、心不全のため死去した。86歳。岡山県出身。近年は体調が思わしくなく、入退院を繰り返していた。5日に家族葬を行った。 1953年(昭28)に阪神入り。遊撃吉田義男との三遊間は、プロ野球史上最高コンビと語り継がれる。

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三宅さんの自家用車はよくエンストした。待ち合わせた場所から、病院内にあったカフェに到着するまで同乗するのだが何度も止まった。こちらが後続車のことを気にしても、三宅さんはまったく動じなかった。

プロ野球を代表した最強で“華麗な三塁手”のイメージは消えうせた。オシャレで、体調を崩されるまで油絵、水彩画を描くなど余生を楽しんだ。ただグラウンドをチェックする視点はシビアだった。

そのギャップに触れることが、三宅さんに会う楽しみでもあった。巨人水原監督から「長嶋より上手」と堅守ぶりを褒められた。「よっさん(吉田義男氏)と最強の三遊間と言ってもらえるのはうれしい」と喜んだ。

三宅さんは「ただな…」と続ける。「みなさんチョーさん(長嶋茂雄氏)の守備を派手というがそうは思わんのや。体の力を外に逃がしていない。最初の1歩は勘でなく目から始まる。ちゃんと基本に沿っている」。独特の言い回し。吉田さんと同じで、守備を語り始めると“三宅節”は止まらなかった。

心から猛虎復活を願ったOBの1人。「阪神は荒々しくね、おとなしい野球はダメだ」。三宅、吉田、鎌田ら、時代を彩った内野陣の主役だけに、今の古巣にはやきもきしていたに違いない。

「根っこは厳しい練習にある」。左目負傷がなければ、まだまだ連続試合、イニング出場は続いたのかもしれない。「その日にしか来られないファンがいると思うと、すべての試合に出るのは、ぼくの礼儀」。常にプロフェッショナルがにじみ出るレジェンドだった。【編集委員・寺尾博和】

 

◆三宅秀史(みやけ・ひでし)さん 1934年(昭9)4月5日生まれ、岡山県出身。内野手。66~67年の登録名は「伸和」。南海高から53年に阪神入団。吉田義男と三遊間を組み、名守備で知られた。700試合連続フルイニング出場はプロ野球3位。62年9月6日の試合前にキャッチボールの球を左目に受けて視力が下がり、記録は途絶えた。57年には三塁手としてセ・リーグのベストナイン。現役時代は176センチ、70キロ、右投げ右打ち。オールスター出場4回。68年から71年まで阪神コーチ。