東北のために、動き続ける。楽天田中将大投手(32)が、発生から10年を迎える東日本大震災への思いを語った。今季、米国から8年ぶりに古巣へ復帰。復興へ進む被災地で腕を振り、後世へつなぐために発信し続けることの意味を口にした。

笑顔で練習場に姿を見せる楽天田中将(撮影・山崎安昭)
笑顔で練習場に姿を見せる楽天田中将(撮影・山崎安昭)
11年5月、仙台市の被災した小学生を招き、ボールをプレゼント
11年5月、仙台市の被災した小学生を招き、ボールをプレゼント

あれから10年。今年で33歳の田中将が、時の流れに向き合った。

「長く戦っていかないといけないこと。僕自身、オフシーズンはそういう何かしらの場を持たせていただいて一緒に何かをやったりはしている。そこに対する思いは変わらない」

8年ぶりの日本、古巣復帰。海の向こうからでも、やれること、やるべきことはやってきた。ただ、被災地に寄り添うことで、見えてくるものもある。

「まだ完全に復興したわけではないし、東北にいれば身近に感じる部分はあると思う。日本にいる期間も長くなるわけですし。キャンプが始まった沖縄から、ずっと仙台以外で過ごしているので、本拠地に戻っていろいろやる中でいろいろ感じることもある」

日本に戻ってきたからこそできること、とは。

「今の段階で言えることではないけど、考えていることもある。そういうのも含めていろいろとやっていけたら」

11年6月、交流戦の試合後、室内練習場で東日本大震災で被災した子供たちにサイン
11年6月、交流戦の試合後、室内練習場で東日本大震災で被災した子供たちにサイン
12年3月、楽天の復興支援活動で、玉入れのかごを背負った楽天田中将は子どもたちから逃げ回る
12年3月、楽天の復興支援活動で、玉入れのかごを背負った楽天田中将は子どもたちから逃げ回る

復興と比例して、人間の記憶も薄れていく。17年から被災地の小学校訪問を開催。風化との闘いから目を背けない。

「発信し続けないと違う地域に住んでいる子たちは分からないだろうし、知らないことはたくさんあると思う。今までも僕もできる限りのことはやってきたけど、発信していくことで何か意味があるんじゃないかと思って続けている」

11年当時は、シーズン中にも被災地を訪問した。

「訪問した際に受け取り手側がどう感じられたかは選手たちには分からない。ただ、逆に僕たちが元気をもらったというか、みんながパワーをもらった気持ちにはなった」

12年12月 福島市内の除染作業ボランティアへの炊き出しで、エプロン姿で作業ボランティアにうどんを手渡す
12年12月 福島市内の除染作業ボランティアへの炊き出しで、エプロン姿で作業ボランティアにうどんを手渡す
12年12月 被災地福島を訪れ(中央左)、広島中村(同右)や選手たちと笑顔でVサイン
12年12月 被災地福島を訪れ(中央左)、広島中村(同右)や選手たちと笑顔でVサイン

13年の歓喜をもう1度。ファンは楽天の「背番号18」に願いを込める。

「周りのみなさんが期待してくださっているところはあると思う。そこの期待を超えていくのが選手として必要なことだとは思っている。自分のできることは1試合1試合、1球1球しっかりと投げていく。チームの勝利のために貢献していく。自分のできることをやる。それをやっていくことで皆さんの期待と結果が直結していくと思う」

イーグルスが再び東北に歓喜をもたらした時、そこから見えるものとは。

「それは(日本一に)なってみないと分からない。でもそれが何かマイナスになることは絶対ない。また盛り上がってくれるとうれしい。実際に応援してくださる方々の声はやっぱり届いていますし、またみんなで喜びを分かち合いたいと思っている。そこに向けてみんなで一緒に戦っていきたい」

13年1月、88年会のプロジェクトで野球少年に指導
13年1月、88年会のプロジェクトで野球少年に指導
18年1月、仙台市立六郷小の生徒たちと給食を楽しむ(中央)。左は楽天辛島、右は永井ジュニアコーチ
18年1月、仙台市立六郷小の生徒たちと給食を楽しむ(中央)。左は楽天辛島、右は永井ジュニアコーチ
20年1月、東宮城野小を訪問。前列左から楽天釜田、辛島、ヤンキース田中、則本昂、松井
20年1月、東宮城野小を訪問。前列左から楽天釜田、辛島、ヤンキース田中、則本昂、松井
イメトレしながらキャッチボールをする楽天田中将(左)(撮影・山崎安昭)
イメトレしながらキャッチボールをする楽天田中将(左)(撮影・山崎安昭)