社会人野球の都市対抗で74年に橋戸賞(MVP)を獲得した柳俊之氏(73)が、今年2月に日本野球連盟北海道地区連盟会長に就任した。道勢は都市対抗で74年優勝の大昭和製紙北海道から3年連続の決勝進出を果たすなど躍進も、近年は低迷し、ここ5年の都市対抗、日本選手権でわずか1勝。新会長は復権と活性化の軸として「全国からの情報収集」「スタッフ育成」「男女平等」を掲げた。21年を改革元年にする。【取材・構成=永野高輔】

    ◇    ◇    ◇

補強選手として74年都市対抗制覇を経験し、76年から3年間、選手兼任で電電北海道の監督を務めた。現場を知り、15~18年まで道内から初となる日本連盟副会長を務めてきた。全国の動きに敏感だ。

柳会長 最近はチームが道外に出る機会が減り、情報が少なくなっている。もっと多地域の情報を集めてやることも必要。プロと試合をやれる機会も増やしていかないと。北海道、結構強いよねというムードをつくっていかないと若い選手が北海道で野球をやりたがらない。クラブチームも資金や練習時間、環境の問題もある。そこは知恵を出しながら、より多くのチームが意見を出し合えるようにできたら。

00年には世代を超えた普及を目指す道野球協議会設立に尽力した。野球の活性化に向けた思いは強い。

柳会長 今年から東京五輪後を見据え「将来構想プロジェクト委員会」を本格的にスタートさせたい。今年の秋から来年には新プログラムをつくって、いい方法を考えられたら。国際審判員をきちっと育てたり公式記録委員、技術委員だったり、国際的な舞台で、大事な仕事を担える人材が出てくるようにしたい。

東京五輪・パラリンピック組織委の新会長選出でも話題になった「男女平等」の動きを、道内の社会人球界にも浸透させていく。

柳会長 審判、記録員の高齢化は問題。男女平等というのであれば、審判や公式記録員が女性でもいいし、逆にアナウンスが女性じゃなくてもいい。そういうことがやれていい時代だと思う。とにかくスピーディーに動いていかないと、完全に北海道は置いていかれる。

芝浦工大時代、思わぬ病に苦しんだ経験が、環境整備に情熱を傾ける原点の1つだ。

柳会長 2年夏に体をこわした。脊髄に腫瘍ができ、11月に背中を手術して1月から練習に戻った。医師には「3年は厳しい」と言われたが、3年頑張って4年後に都市対抗初出場。その年にドラフト指名(西鉄2位)を受けたが、もう24歳だったし、病気のことも考えプロはあきらめた。そんなこともあったから、やりたくてもできないという選手は1人でも減ってほしい。世代関係なく多くの人が、好きな野球をやれる環境を整えたい。

◆柳俊之(やなぎ・としゆき)1947(昭22)12月12日、岩見沢市生まれ。岩見沢東3年春にエースで全道4強進出。芝浦工大3年秋に東都リーグ1部優勝。卒業後は電電北海道(のちのNTT北海道)入り。野球殿堂入りした若松勉氏と同い年で、70年の1年間一緒にプレー。74年には大昭和製紙北海道の補強選手として優勝に貢献。76~78年まで電電北海道の選手兼任監督を務め78年に引退。08年から道野球協議会理事長。19年から2年間、日本連盟北海道地区連盟会長代行。