17年も話題満載のタイガーステーション。再開第1弾は「あの猛虎は今」で、ダレル・メイ氏(44)の登場です。現在“日本球界復帰”を目指して活動中。阪神では野村克也監督を批判する文書を配布し退団。巨人移籍後には、阪神戦で危険球まがいの1球を投じ、物議をかもした。米国で若者の指導にたずさわり、NPB球団の駐米スカウトになることも夢見ている現況だけでなく、あのお騒がせ事件も語った。【取材・構成=高野勲】

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お騒がせ男の面影は、どこをどう探しても見当たらない。メイ氏は今、2人の女児のよき父親として、米テキサス州で暮らしている。地元の大学などで、野球のコーチを務めている。

95年ブレーブスでメジャー初登板。エンゼルス在籍の98年春、阪神のスカウトが現れた。

メイ氏 当時「日本に行くのは引退間際の選手」と思っていた。でも阪神の人は「今後は若い選手を使いたい」という。そこで入団を決めた。

1年目は4勝ながら、防御率3・47と及第点。翌年99年の契約を勝ち取ると、ヤクルトを退団した野村克也新監督がやって来た。

メイ氏 えっ、野村さんの話? ハハハ、気にするな。いいよ、話そう。

この年前半6勝していたが、処遇に疑問を持ち、8月に退団を申し入れた。拒否されると、前代未聞の行動に出た。野村監督を批判するビラを報道陣に配布。改めて解雇を求めたのだ。

メイ氏 あれは球宴休みの話だ。球団の、それまで話したこともない人が来て「2軍に行け」と言ったんだ。何で監督じゃなかったんだろう? いまだに分からない。打たれていたならともかく、私は抑えていた。体調も万全だった。

球団は「99年中の謹慎」「年俸の 1/5 の罰金」を科し、メイ氏は帰国。同年オフ、巨人から声がかかった。

メイ氏 長嶋さんは最高の指導者だ。確かにまずいプレーは怒られる。でも翌日には、あのビッグスマイルで接してくれるんだよ。

すっかり機嫌を直したかに見えたメイ氏だったが、今度は古巣との対戦でもめた。00年6月7日の阪神戦で、和田の顔付近にボールを投げつけたのだ。

メイ氏 大好きな和田さんに当てようなんて、全く考えていなかった。私はスイスイ投げたかったが、3度もタイムをかけてきた。野村さんの指示だったんだろう。「そんなことをしても無駄だ」という警告だ。

メジャー復帰を希望し、01年オフ帰国。現在は、NPB球団の駐米スカウト就任が目標だ。語学教材「ロゼッタストーン」で、日本語の勉強も開始した。

メイ氏 08年には3週間、スカウティング講座を受けた。メジャー関係者と付き合いもできたから、いいプレーヤーを紹介するよ。

阪神と巨人という超人気2球団に在籍した外国人は、他にアリアス(阪神02~04年、巨人06年)のみ。果たして朗報は届くのか。

メイ氏と初めて会ったのは99年の夏、甲子園の関係者用階段だった。踊り場ですれ違い、自己紹介すると「ダレルと呼んでくれ」と、細長い右手を差し出してきた。英語で書くと「Darrell」。日本人には言いづらい「R」と「L」が林立している。中学時代の英語の授業を思い出し、言ってみると「ベリーグッド」とにっこり。その笑顔は今でも忘れられない。

素顔のメイ氏は、日本国民の美徳を心から敬う好漢。来日早々、大阪の英国風バーへ行こうとして迷った際には、見知らぬ男性が店を探し出し、連れていってくれたという。「東京で財布をタクシーに置き忘れても、1円も取られず戻ってきたよ」と驚いていた。

愛する日本球界で職を得た際には、神戸での再会を誓い合った。「イサオさん」と呼んでくれる彼の発音を、こちらが褒める番である。【99~01年プロ野球担当・高野勲】

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◆お騒がせ(1)野村監督批判ビラ 99年の球宴期間中、阪神メイは歯の治療のためグアムへ出掛けた。再来日後、首脳陣は2軍調整を指示。メイは退団を申し入れたが、球団は拒否。8月9日、メイは鳴尾浜で「野村監督は私をプロとして扱っていない」などとつづった批判文書を報道陣に配布した。事態を重く見た球団は「シーズン中の謹慎」「年俸(推定3200万円)の 1/5 の罰金」を命じ、メイは帰国。オフに自由契約となった。

◆お騒がせ(2)危険な1球 00年6月7日阪神戦(東京ドーム)の7回表。タイムを3度かけ打席を離れた和田豊に対し、メイは投球動作を停止。その直後、和田の近くに1球を投じた。メイは試合後に怒りを表し、ホームベースに向かってでなく「To him」(彼を狙った)と発言。セ・リーグは翌8日「出場停止10日間、制裁金50万円」の処分を下した。