「途中離脱」の一文を含んだ契約書通り、期待の大砲は97年1月29日、関西空港に降り立った。日本のキャンプインである2月1日をチームで迎えるためだ。テンガロンハットにスタジアムジャンパー、ジーンズ、ウエスタンブーツ。ラフなスタイルで神戸市内のホテルに直行したグリーンウェルを出迎えたのは、獲得を待望した監督の吉田義男だった。

「特別扱いはなしにしてくれ。チームのみんなと同じようにやる。オープン戦にもできる限り出場し、開幕に100%の状態にもっていくよ」

がっちり握手して誓ったセリフは、高知・安芸で実践された。前年12月の契約時にメジャーで使っていたバットを1本、球団に渡していた。キャンプ初日から準備されていたモデルバットを握り、フリー打撃で87スイング。両翼のフェンスを5本の打球が越えた。どんなボール球でも振っていく姿に吉田が「まるで見逃さなんなあ」と疑問を投げかけると「オレは攻撃的なんだ。四球は少ない分、三振も少ないんだぜ」とウインクしてみせた。

守備練習も全力だった。キャンプ5日目にはシートノックで左翼に就き、打球を追って内野に返球。守備コーチの平田勝男を「姿勢がいい。(ノックに)参加しなくてもよかったけど、意欲的にやってくれた」と安心させた。

圧倒的な存在感にセ・リーグ各球団のスコアラーは高知・安芸行きの日程を早めた。巨人編成部員は8日に、ヤクルトのスコアラーは10日に訪問。例年より5日も早い視察開始だった。「だって早く来ないと途中でいなくなるんだろ」。キャンプインから全開プレーの大物助っ人だが、11日には米国に戻ってしまう。どちらも異例のこととして他球団に知れ渡っていた。

離脱の表向きの理由は「ビジネス」。広大な農場と遊園地、レーシングチームの3社を経営していて、その事務処理を例年、この時期にこなしていた。

「大丈夫。トレーニングもするし、自宅の打撃マシンを打ち込むよ」と約束する裏で、実はこんな理由もあったという。「トレーシー夫人との結婚記念日は家族で過ごすと決めていたんだ。メジャー時代はキャンプイン前で問題なかったんだけど」と打ち明けられた米球界関係者がいた。

理由はともあれ、契約で認められた離脱は一時的なもの。22日には再来日し、オープン戦出場に備えるはずだった。ところが、フロリダに戻ったとたん、グリーンウェルからの音信は暗くなる。【町田達彦】(敬称略、つづく)

◆グリーンウェルの自宅とビジネス フロリダ州アルバの自宅敷地は約80万平方メートルで、甲子園球場20個分。敷地の境界は釣りができる川が流れる。牛80頭、馬3頭が走る牧場、熊や鹿、ワニも生息するハンティング場のジャングル、グレープフルーツ畑、オーナーを務めるレーシングチームのメカドックなどがある。2階建ての家屋はジェットバスとプール付き。リビングルームは50畳。家から5キロの位置に遊園地「グリーンウェル・ファン・パーク」を造り運営していた。