77日ぶりの来日となった関西空港で、グリーンウェルは自信にあふれていた。米国では主治医だけでなく、阪神が指定するデトロイトタイガースのチームドクターにも診察を受けた。手術プランも出た腰痛は結局、軽症との所見で、基礎的なトレーニングからメジャーのキャンプ地でのフリー打撃まで再開していた。

なんとしても勇姿を届けたかった「こどもの日」に合わせ、4月30日に再来日。さっそく翌日から、鳴尾浜でタテジマを着た。50人の報道陣は、グラウンドに出て15分で打撃ケージに入る意欲的な姿勢に目を疑った。再来日前から球団にリクエストしていた左腕の打撃投手を打ち込む姿に、チームとファンを不安にさせたトラブルメーカーの面影はなかった。

5月2日の甲子園練習で監督の吉田は「はっきり言いますわ。5番レフトです」とスタメン起用を約束した。3番新庄、4番桧山と並ぶクリーンアップで、遅れてきた大物にチームの浮上を託した。

ゴールデンウイーク。満員の甲子園での広島戦。5月3日のデビュー戦はグリーンウェルのためにあった。1回満塁での併殺でどよめかせると、3回2死一、二塁で中前に先制適時打で挽回。クライマックスは8回の無死三塁だ。弾丸ライナーを右中間に放ち、大きなストライドで三塁に突進。ドスンと滑り込んでから立ち上がり、ガッツポーズで見えを切った。代走を告げにベンチを出た吉田はつられるように三塁ベースに近づき、ヒーローをハイタッチで出迎えた。

「これからもボスとはいい関係でいられると思うよ。甲子園はグレート。とても興奮したし、楽しくプレーできた」

4日の同戦も決勝の2点打で連勝を呼ぶ。そして5日だ。大切にしていたこどもの日に勝利こそ収められなかったが、4回に適時二塁打で沸かせた。3戦目で早くもとられた右寄りの「グリーンウェル・シフト」の裏をかくように、左中間を深々と破ってみせた。

再来日前から蓄える無精ひげを整え、ついでに頭部もツルツルにそり上げてプレーした。チームカラーの黄色で決めた両手首のリストバンドが、デーゲームにまぶしく映える。12打数5安打5打点、2勝1敗でチームの勝率5割復帰を後押しした。「この男がいれば上位に進出できる」。救世主の「お告げ」を聞いたのは、甲子園3連戦に詰めかけた14万5000人観衆(当時は主催者発表)だけではなかったはずだが…。【町田達彦】

(敬称略、つづく)