東京オリンピック(五輪)の野球日本代表は「オールプロ」で編成され、社会人、大学生からの選出はなかった。日本のトッププロから選りすぐって臨むわけだから、メダル獲得は確実だろう。

野球界にとって重大なのは、その先にある。今大会で再び「野球・ソフトボール」は五輪の実施競技から除外されるが、これをいかに復活させるかは至難といえる。

2024年のパリ大会で「野球・ソフトボール」が実施される見込みはない。2028年はロサンゼルス大会で、1984年に野球が公開競技で行われた実績はあるが、保証はない。

五輪野球はこれで最後という同じ状況下で取材にあたったのが、13年前の08年北京五輪だった。「金しかいらない」。07年1月、代表監督に就いた席上、星野仙一は言い切った。山本浩二、田淵幸一、大野豊がコーチで支えた。

まず北京での「プレ五輪」に優勝する。18歳坂本(巨人)、19歳岡田(オリックス)、関学大・宮西(日本ハム)らがメンバーだった。その後、「五輪アジア予選」を1位通過して五輪出場権を得た。

コロナ禍で揺れる今大会だが、当時もさまざまな“事件”に直面した。聖火リレーはチベット問題を巡って世界各地でデモ、妨害が発生。中国で毒入りギョーザ、段ボール肉まんが表面化し、「食の安全」に困惑した。

そして本番まで1カ月にこぎつけた視察先のオランダで、星野が右肋骨(ろっこつ)骨折に見舞われた。代表監督が予定を早めて緊急帰国するのだから、異常事態だった。

だれもが金メダルを信じて疑わなかったが、星野ジャパンは敗れ去った。闘将は大バッシングにさらされ、身内の五輪幹部からも批判の声が上がった。野球消滅で、衝撃と虚無感にさいなまれたのを覚えている。

あの悲劇以来、五輪の「野球・ソフトボール」が13年ぶりに実施される。この間、野球ソフトボール復活にこぎつけるまで各国で交渉、ロビー活動を続けた複数関係者に接してきただけに感慨深い。

米大リーグは19年にロンドンで史上初の公式戦を開催。仏パリも誘致を計画している。中国での普及度がカギとの意見もある。祖国での金メダルを、五輪野球復活の足がかりにしたいものだ。【寺尾博和編集員】(敬称略)