日刊スポーツの火曜日週替わり企画が、再開します。後半戦第1回は「猛虎スペシャル」です。

今回は阪神ナインの原点、足跡をたどる「猛虎のルーツ」で、2年目の及川雅貴投手(20)の原点に迫ります。成長著しい中継ぎ左腕は、どのような少年時代を過ごしたのか。故郷である千葉県匝瑳(そうさ)市の母直美さん(47)が証言しました。【取材・構成=中野椋】

及川の母直美さんは、今でも友人に言われることがある。「雅貴君は及川家の突然変異だね」。アスリート一家ではない。中学時代に「部活動レベル」で陸上競技に打ち込んだ直美さんも、「少年野球をやっていたけど途中で辞めてしまった」という父大介さん(46)も否定しない「ごく普通の家庭」からプロ野球選手が誕生した。

直美さん しいて言うなら…ずっと外で遊んでいたからかな。2つ上のお姉ちゃんと暗くなるまで。でも…娘も同じことやってきたので突然変異しないとおかしいですもんね(笑い)。

千葉県の北東部、田園地帯が広がる匝瑳市で生まれた。3156グラムと「ノーマルサイズ」で生まれ、0歳から通った保育園では「マーちゃん」と愛された。小学生の頃は外で遊んで疲れては家でゲーム。回復したらまた外へ出かける活発な少年だった。低学年の頃には自転車で勢い余って田んぼに突っ込み、泥だらけになったことを直美さんは覚えている。

直美さん その時は近所で散歩しているおじさんが助けてくれて。匝瑳市は危ない所もないし子育てはしやすい。田んぼや畑が多いので、働いている方が気にかけてくれてました。

子どもに好きなことをやらせる。勉強も最低限で「宿題はしっかりやりなさい」。そんなノビノビ教育が及川を大きく育てた。唯一のルールは「早く寝ること」。午後9時には布団に入り、休日は朝8時まで睡眠を取った。

直美さん 夜早く寝かすのは朝起こすのが大変だってこともあるんですけどね。夏休み、冬休みのたびにググッと伸びてました。

中学入学時に、すでに165センチあった身長は3年間で17・5センチ伸び、卒業する頃には182・5センチになっていた。大介さんが167センチ、直美さんが162センチだから「突然変異」の言葉もうなずける。「寝る子は育つ」を地でいった。

ただ、縦には伸びたが線は細かった。「そんなに食べ物が好きじゃなくて。何が食べたい? って聞いても『別に』って感じでした」と直美さんは苦労した。匝瑳シニアでプレーした中学時、体重アップを図ったがなかなか増えない。そこで生まれたのが「お茶漬けで流し込む戦法」だ。

直美さん 夏になると、合間に食べるご飯もおなかに入らないみたいで、冷やし茶漬けでかき込んだり。食べ物に関しては本当に響かない子でした(笑い)。

母の工夫が詰まった食トレとたっぷりの睡眠で体を作り、及川はスーパー中学生として有名になった。3年冬には「ビートたけしのスポーツ大将2017」に出演し西武・森らと対戦。横浜高では1年から甲子園出場した。

直美さん うちは本当に普通の…。今でもあんまり実感ないですね、プロ野球選手なんだ…って。

決して背伸びはしない。「突然変異」の裏には、家族からの等身大の愛があった。

◆及川雅貴(およかわ・まさき)2001年(平13)4月18日生まれ、千葉県匝瑳市出身。小学3年時に須賀スポーツ少年団で野球を始め、八日市場二中では匝瑳シニアでプレー。横浜高に進み、甲子園は1年夏、2年夏、3年春と3度出場。真っすぐの最速は153キロで鋭いスライダーも武器。大船渡・佐々木、星稜・奥川、創志学園・西と「高校四天王」と称された。19年ドラフト3位で阪神へ入団。愛称はオヨヨ。背番号37。今季推定年俸は600万円。184センチ、78キロ。左投げ左打ち。

◆今季の及川 5月28日西武戦(メットライフドーム)でプロ初登板し、2/3回を無失点。30日の同戦では2番手で登板し1回2/3を無失点。その後チームが逆転しプロ初勝利が転がり込んだ。エキシビションマッチでは先発に挑戦。勝ちパターンの一角として後半戦は再び中継ぎに戻り、14、15日の広島戦で2試合連続無安打無失点。今季は17試合で2勝1敗、防御率1・35。

◆匝瑳市(そうさし) 2006年(平18)1月23日に八日市場市と匝瑳郡野栄町が合併して誕生した。千葉県の北東部に位置し、成田空港から車で約30分の距離。南部は九十九里海岸に面している。人口は3万5191人(21年7月31日時点)。主な出身著名人は、地井武男さん(故人)、元中日の宇野勝さんら。特産品は赤ピーマン、大浦ごぼうなど。株式会社ウェイブダッシュが19年9月に発表した「難読市ランキング」によると、長野・東御市(とうみし)に次いで、千葉・匝瑳市は全国2位にランクイン。