DeNA宮国椋丞投手(29)は、2月から異例の「自主キャンプ」で体作りし、目標のNPB復帰を果たし、1軍のマウンドまでたどり着いた。

自主キャンプを支えたのは、西武内海の巨人時代に個人トレーナーを務めた保田貴史氏(38)。保田氏の証言から40日間の軌跡をたどった。【取材・構成=久保賢吾】

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2月中旬、保田氏は練習後に宮国とそば屋へ昼食に向かった。店への道中、若いカップルが、公園でキャッチボールするのが見えた。経験者とみられる男性が女性に優しく教える姿を目にし、ふと保田氏が「どうやって、プロ野球選手になったの?」と聞いた。宮国は少し照れながら高校時代の記憶を呼び起こした。

宮国 小さい頃からずっとプロになるって言ってたんですけど、ふと、高校1年の時に「このままじゃ無理だな」と思ったんです。何かを変えないと、と思って、自分で考えて、がむしゃらに練習しましたね。

宮国の言葉に、保田氏はハッとした。「あの時と一緒の状況やんか。原点に返ろうよ」。目を合わせると、2人の脳裏に1曲のメロディーが流れた。自主キャンプを始めた時から、心の支えだったHYの「帰る場所」。「確かに。『うちなーの心、忘れるなよ』ですね」と宮国は笑った。

2人の歩みの始まりは、プロ野球がキャンプインした2月1日、神奈川県の中学シニアチームのグラウンドだった。練習場所が見つからず、前日の1月31日に宮国の恩師である元巨人コーチの小谷正勝氏のつてを頼った。練習場所の確保は難しく、40日間で公園を含め計8カ所を転々としたが、困難をもプラスへと変えた。

保田氏 いろんな方にお電話したんですが、練習場所を探しながら「宮国、頑張ってますよ」「宮国、元気ですよ」と知ってもらえたらなと。もしかしたら、プロ野球関係者の方にも届くかもしれないなと。

トレーニングのテーマは、オファー即実戦が可能な体づくりだった。ショートダッシュなど瞬発系を多めに入れながら、数日に1回はキャンプと同じように心肺機能を高めるインターバル走で強化。ブルペンでは保田氏が防具をつけながら捕手役を務め、計507球受けた。

保田氏 目の前の目標はオファーが来ることでしたが、その先の目標は活躍することなので、強化と実戦で結果を出せるようにということを考えながら。

かつて、内海の個人トレーナーとして、春季キャンプに同行した。練習の流れ、メニューを間近で見た経験を生かし、キャンプと同等の負荷も意識。ペースは3勤1休にし、キャンプなら投内連係などのチーム練習が入るが、その代わりに切り返しや三角に走るなど、同じような体の動きを意識した。

保田氏 入団が決まって、怖いのはケガなので、それは防げるように。2人でやるから練習時間が短くなるっていうのは違うし、できるだけ、キャンプに近い動きやトレーニングができるように工夫しようと。

忘れられない光景がある。ある日の夕方、練習場所が取れず、河川敷での練習中、野球場が遠くに見えた。「『帰る場所』はあそこ。絶対、あの場所に帰ろう」。二人三脚で汗を流した40日間を経て、2人で誓った地に立った。

◆宮国椋丞(みやぐに・りょうすけ)1992年(平4)4月17日生まれ、沖縄県出身。糸満高では2年春からエース。10年ドラフト2位で巨人入団。12年4月8日阪神戦でプロ初登板初勝利。13年はWBC出場の内海に代わり開幕投手を務めた。昨年11月に戦力外となり巨人を退団。今年3月にDeNAが育成枠で契約。8月30日に支配下選手登録された。186センチ、88キロ。右投げ右打ち。今季推定年俸840万円。

◆保田貴史(やすだ・たかし)1982年(昭57)9月15日、京都・精華町生まれ。中学時代は西武内海とともにボーイズリーグの京都田辺に所属。07年オフから18年オフまで内海の個人トレーナーを務め、現在は「T-YASUDA企画」の代表で、小中学生などを中心にトレーニングを指導する。