ドラフト1位―。それは毎年のドラフト会議で指名され、NPB入りする中で12人しかいない、選ばれし選手たちだ。プロとなってからは、多くの期待とプレッシャーを背負う立場。〝ドラ1〟という輝かしい肩書とともに、その後の人生を歩むことにもなる。

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グラブを手に室内練習場へ入ると、打撃投手として投げ始めた。打席に入っているのは、小学生。06年のヤクルト高校生ドラフト1位、増渕竜義氏(33)は投げながら、選手たちへアドバイスも送る。「小学生たちの野球を楽しんでいる姿を見ると、僕自身も楽しくなるんです」。レッスンを終えると、1人1人に声をかける。

代表を務める「上尾ベースボールアカデミー」を埼玉県上尾市に設立して4年目。小1から中3までの約110人が通う。指導方針は「野球を好きに」。「のびのびと、選手が自分で考えてやる方針です。僕が『やれ』と言うのではなく、野球を楽しませたいと思っています」と言う。

打撃フォームで気になるポイントがあっても、強制的な指導はしない。「こういう風にしてみたら、どう?」。その言葉をヒントに、選手が自分のフォームについて考え、変えていく。気付きのポイントを与えている。

自身も、野球が大好きな球児だった。増渕の名前が広まったのは、埼玉の公立校である鷲宮高時代。「打倒私学」を胸に入学した。1年秋からエースになると、3年の夏には最速149キロ右腕として注目を集めた。「公立の星」と称され、市浦和戦では15三振を奪い、ノーヒットノーランを記録。しかし決勝で、強豪の浦和学院に0―4で敗戦。夢には届かず、悔し涙を流した。連投の疲労から、直球は130キロ台までスピードが落ちていた。大舞台まで、あと1歩。甲子園には届かなかったが、知名度は全国区となった。

ヤクルトとは縁もあった。06年のドラフト会議では、ヤクルトと西武から1位指名を受け、抽選の末にヤクルトが交渉権を獲得。母洋子さんはヤクルトレディーとして働き、息子たちを育てていた。ドラフト会議後には「こうなれたことが一番の親孝行だと思う。ありがとうと言いたい。運命みたいなものですね」とコメントを残している。

同期は、楽天・田中将大投手、巨人・坂本勇人内野手、ツインズ・前田健太投手ら。〝ドラ1〟として入ったプロの世界は「悩みまくりでした」と振り返る。1年目の10月4日横浜戦で初勝利を飾った。2年目も開幕ローテーション入りを果たすが、3勝にとどまった。

右肩の負傷や試合中の不慮のケガも乗り越え、10年には主に中継ぎとして57試合に登板。勝利の方程式にも入った。11年には、再び先発として7勝。これが、自身の最多勝のシーズンとなった。「技術はもちろんですが、プロではデータで相手も攻略してくる。その中で投げきるのが大変だった。自分がよくなるための変化を求められる」と明かす。

第2の人生にもつながる転機は、14年3月にトレードで日本ハムに加入したことだった。新天地での練習が、刺激になった。日本ハムでは、自主練習の時間が多かった。今、どんなトレーニングが必要なのか―。自分で考え、メニューを組み、体と向き合った。その時間が、楽しかった。「人に言われてやるよりも、自分で考えてやった方が身になる」。強制される練習ではなく、自分で考えることの重要性に出会った。結局、日本ハムでは公式戦の出場はゼロ。15年限りで、現役生活を終えた。

運営するスクールでは、県内外の強豪校に進学し甲子園に出場した教え子や、大学で野球を続ける選手も輩出している。時には、高校野球も観戦する。「卒業生の成長は気になります。公立に進んだ選手には、やっぱり頑張ってほしいなと思うんです」と笑顔で話す。

今年からは、埼玉県八潮市に本社のあるSUNホールディングスで投手兼任臨時コーチを務めている。「プロに行く選手を育てていきたいと思っています」と言う。プロ野球選手の9年間で得た考え方や技術を、伝える。「常にポジティブに、少しでも不安があると打たれてしまう。『俺の球を打ってみろ』という気持ちで直球を真ん中に投げた方が、抑えるもの。気持ちをボールに移すことが大事だと思っています」。魂を込めた直球を投げる選手を、NPBへ送り出したいという。

登録上は投手兼任で〝現役復帰〟となる。日本ハムで引退してから6年。「子どもを相手に、打撃投手で投げているくらいですよ」と笑った。

スクールでは選手全員と毎月、野球ノートを交わしている。その月の目標や、教えてほしいことなどの項目が設定されており、各自が記入して提出する。1冊ずつ目を通し、メッセージを書いて返す言葉のキャッチボール。「面と向かっては話しにくい子どももいるし、ノートに書いた方が伝えやすい場合もある。字がきれいになったり、書いてくる量が増えたりします」。

日々、子どもたちの成長を感じながら、自身の目標もある。「ゆくゆくは監督をやりたいなと思っています。高校でも、大学でも、社会人でも。まずは人間性を大事に、野球に対してポジティブに取り組める、縛りのないチームを作りたいんです」。

「野球が好き」という気持ちは、今も変わらない。【保坂恭子】

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