日本ハム斎藤佑樹投手(33)が涙の引退試合に臨み、11年間の現役生活に幕を下ろした。

オリックス25回戦(札幌ドーム)の7回、2番手で登板。予定の打者1人と対戦し、四球を与えて降板した。三塁側ベンチに戻ると、同時期に退任を発表した栗山英樹監督(60)に声を掛けられ涙を流した。プロ11年間で通算89試合、15勝26敗、防御率4・34。数字以上の大きなものを残し、ユニホームを脱いだ。

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万雷の拍手に導かれ、舞台は整った。7回。斎藤が、現役最後のマウンドに立った。登場曲はプロ初登板時と同じ「勇気100%」。「あとのことは全く考えずに投げていました」と必死だった。福田に最速129キロの直球、チェンジアップ、ツーシームを織り交ぜ7球。四球を出し、悔しげに降板した直後だった。

心を揺さぶられた。栗山監督とグータッチを交わし、グラウンドに背を向けながら声を掛けられた瞬間。涙が込み上げ、あふれ出した。「あの時の言葉は、今は記憶にないんです」。栗山監督は事前に、オリックス側へ真剣勝負をお願いしていた。「それが斎藤の望みだと思う」。粋な計らいと、指揮官の言葉の数々がよみがえり涙を生んだ。

光と影を味わった現役生活だった。故障に苦しんだことで、斎藤は夢を見つけた。ケガから復活し、第一線に復帰した上沢や玉井ら後輩に、積極的に話を聞いた。故障が癒え、結果を出すまでの過程が知りたかった。「ちゃんと形にして説明できるようになれば、これから野球を始める子たちにも大事なことになると思う」。自身のためだけではなく、野球界の未来につながる指針を得ようとした。

逃げなかった。入団前から一身に浴びていた注目は近年、厳しさを帯びていた。「客観的に見ても、立場として…普通ならあり得ない」。“普通ではない”という現状は重々、理解していた。「今の僕があるのは、高校からの財産でもある。だからこそ最後まで、自分のやるべきことを、やらないといけない」。一躍、脚光を浴びたあの日から、宿命を背負い続けてきた。

引退セレモニーの最後、こう結んだ。

斎藤 斎藤は持っていると言われたこともありました。でも、本当にもっていたら、いい成績も残せたでしょうし、こんなにケガもしなかったはずです。ファンの皆さんも含めて、僕が持っているのは「最高の仲間」です。

胴上げでは5度、宙を舞った。今後のことは「少し立ち止まって、考える時間が必要かな」と笑った。最高の仲間と歩み、たどり着いた最後の瞬間。とびきりの佑ちゃんスマイルが、11年間のプロ野球人生を物語っていた。【田中彩友美】

◆斎藤佑樹(さいとう・ゆうき)1988年(昭63)6月6日、群馬県太田市生まれ。早実3年の06年、甲子園で春8強、夏は決勝引き分け再試合の末に駒大苫小牧を4-3で破り優勝。早大では100代目の主将を務め、リーグ通算31勝。10年ドラフト1位で日本ハム入団。通算89試合で15勝26敗、防御率4・34。176センチ、77キロ。右投げ右打ち。

○…試合後のセレモニーでは、日本ハムの選手やスタッフが“惜別”Tシャツを着用。“画伯”こと木田2軍総合兼投手コーチが描いた斎藤の似顔絵に「野球とは最高の仲間との架け橋です」と斎藤の直筆文字が入り、背中には背番号1があしらわれている。