日刊スポーツの大型連載「監督」の第5弾は、大毎、阪急、近鉄を率いて8度のリーグ優勝を果たした西本幸雄氏(享年91)。チーム創設32年目の初優勝をもたらした阪急では、妥協知らずの厳しい指導力で選手を育て、鍛え上げながら黄金時代を築いた。

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西本阪急が1967年(昭42)の初優勝から3年連続でパ・リーグ制覇を果たした要因に、外国人の働きは欠かせない。その1人が“日本球界を変えた助っ人”ともいわれる強打の二塁手ダリル・スペンサーだった。

南海野村克也と3冠王を争った65年、7月16日の近鉄戦(西京極)でサイクル安打を達成。当時はサイクル安打が記録として扱われなかったため、後に影響を及ぼした。投手のクセ、球種を盗むのも巧みだった。

その年、四球で歩かされる打席が続くと、バットを逆さに持って打席に立った。外国人にタイトルを取らせたくない風潮に抗議した。来日4年目を迎えた67年のスペンサーは、すでに38歳だったが、30本塁打を放って優勝に貢献した。

もう1人の外国人は、外野手のウインディで、67年は打率2割8分5厘(リーグ9位)、25本塁打。長池徳士、阪本敏三、大熊忠義、住友平らの若手も育ち、助っ人パワーも絡んで投打がかみ合うチームに変身した。

西本はチーム全員を平等に見立てながら起用した。3年連続リーグ優勝したショートでレギュラーの阪本は、今でも監督との初対面を覚えていた。

「最初にノンプロ(河合楽器)から入ってきてあいさつしたら、『一緒にやろうな』といわれて驚いた。そのときは優しさを感じましたが、ゲームでベンチに座っていると、後ろから何度もベンチを蹴られて怖かったです」

勝負に対する厳しさは外国人にも容赦はない。足立光宏はある試合のベンチで、西本が身長187センチで大柄なウインディに平手打ちした場面を目撃している。

「ウインディが公式戦の打席内でちょっとふざけたのかな、西本さんがカチンときたんだと思います。長い野球人生の中で、外国人選手を殴った監督は初めて見た。それも連続して2発ぐらいですよ。ウインディは殴られるままだったけど、えらかったのは反省したんだろうね。ベンチ裏で泣いていました」

また、4番の長池が「名監督といわれる人は、選手のプライドをすごく守ってくれる」としみじみともらした一戦があった。3年連続リーグ優勝でMVPを獲得した69年。本拠での大事な試合の終盤、ノーアウトで走者を置いた場面で、一塁コーチの西本から長池に一向にサインが出ない。

「1点取るのに絶対バントだと思いましたが、なかなかサインが出ないんです。タイムをかけて監督のところに行って『バントしていいですか』と聞くと、西本さんが『おぅ、やってくれるか』と言うんです。これって4番のプライドを守ってくれてるんですよ」

チームと指揮官は「信頼」という糸で固く結ばれた。鉄拳を食らったウインディも活躍。西本の人間力を表すエピソードでもある。【編集委員・寺尾博和】(敬称略、つづく)