広島の監督として「赤ヘル軍団」の黄金期を築いた古葉竹識(こば・たけし)さんが、12日に心不全で亡くなっていたことが16日、分かった。長男千雄さんが球団を通じて発表した。85歳だった。葬儀、告別式はすでに近親者のみで執り行われた。

 

▽広島前監督・緒方孝市氏(日刊スポーツ評論家) 指導者になって、よく激励していただいた。監督として優勝したとき「カープの新しい黄金時代を作ってくれたな」と言われ、感激した印象が強く残っています。

▽79、80年広島と日本シリーズで対戦した当時近鉄捕手の梨田昌孝氏(日刊スポーツ評論家) 広島も近鉄も低迷したお荷物球団で、その2チームがセ・リーグとパ・リーグで連続優勝したのは信じられなかったと思います。それは監督だった古葉さん、西本幸雄さんの存在が大きかった。選手を信頼した起用に厳しさで優勝に導いた印象が強く、広島に2年連続で敗れて味わった悔しさは、今も記憶に残っています。

▽ソフトバンク王貞治球団会長 古葉さんは素晴らしい守備と粘り強いシュアなバッティングの選手でした。監督としても、巨人V9の後の広島黄金時代の赤ヘル旋風は見事でした。アマチュア野球でも頑張って頂いて、野球一筋の素晴らしい人生だったのではないでしょうか。同世代を生きた者として誇りに思います。ご冥福をお祈りします。

▽広瀬叔功氏(古葉氏と同学年で70年から2年間、南海でチームメート) 突然のことで驚いている。同学年で、生まれ育った広島から来たという共通点もあってか、すぐにウマが合った。互いに「コバちゃん」「ヒロちゃん」と呼び合ってね。よそから来た選手という感覚がまったくなかった。ただ、性格は正反対。不真面目な俺に対して、コバちゃんは本当に真面目で、みんなに好かれていた。同じ時代を戦った仲間たちがいなくなり、寂しいけど、俺もそのうちいくよ。

▽広島出身のヤクルト高津監督 昭和50年、ルーツ監督の後を受け初優勝に導いた古葉監督のこと、そして広島の街がカープ一色になったことは、当時小学校1年生の私の記憶に鮮明に残ってます。同じチームで野球をやったことはありませんが、心に残る監督のおひとりです。ご冥福をお祈りいたします。

▽中日立浪監督 急なことで驚いています。(プロ野球を離れ)大学野球の監督をやられているときに何度か電話でお話をさせていただいた。古葉さんの座右の銘だった『耐えて勝つ』という言葉も好きで、色紙もいただいた。自分が指導者になることを楽しみにしていただいていた。その姿をお見せできなかったのが残念です。