おかわり君がミスターに並んだ。西武中村剛也内野手(38)が通算444号本塁打を放った。

国民的スーパースター長嶋茂雄氏(86=巨人終身名誉監督)の数字に到達した。1-0の4回。日本ハム上沢からバックスクリーン左に高い放物線での1発。4月まで打率1割4分1厘、本塁打0と極度の不振だったが、5日の今季1号から中1日での2号ソロ。まだまだ通過点。目標に掲げる500号へ向けて、1本ずつ積み重ねていく。

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444号-。ミスターがかけたアーチ数に並ぶ1発は、長い滞空時間でバックスクリーン左へ伸びていった。4回。中村は先頭打者で打席に入った。初球145キロ直球は、真ん中高めに吸い込まれてきた。「ちょっと詰まり気味やった」。ただ残した快音は、2万1577のファンに着弾点がスタンドだと知らせるに十分だった。大歓声と拍手。打球の行方を見つめ、ダイヤモンドを一周した。

目標は通算500号だと言い続ける。その到達点へ向けた決意が強いからこそ、今、特別な感慨はない。「ミスタープロ野球と呼ばれている方のホームラン数に並べたのはすごくうれしい」の言葉は事実だが、特別な感情が起こらないのもまた事実だった。憧れの打者は「いないですね」。4295グラムで誕生。幼稚園で足のサイズは20センチを超え、げた箱に靴が入らなかった。ずっと変わらぬ、あんこ形の体。独自の個性を貫き通し、栄光と実績を積み重ねてきた。他人と比べて感慨に浸らないのは、まさに生きざまでもあった。

ぶれない姿勢の一方、「そこは変わっていますね」と明確に自覚する点もある。プロ21年目。髪も少し白くなった。体の変化、感覚の誤差と向き合いながら、日々を積み重ねる。

「今はホームランを意識しないとホームランが出ないなという感覚がある」。

以前は無意識でも打球に角度がついた。その感覚で今、打席に入れば、昔のようにはいかない。だから打席では毎回、以前より鮮明に本塁打のイメージを描く。練習でも常にボールの下にバットをもぐらせる。その意識を強くし、体の変化に向き合ってきた。

4月は打率1割4分1厘、0本塁打と苦しんだ。ただ5月は全5試合で安打を放ち、2発とギアが上がってきた。「もうちょっと打てるように頑張ります」。まだまだ通過点。記録に満足できるのは、あと56発を打った時になる。【上田悠太】

<中村剛也とホームラン>

◆交流戦1号&キング 05年に始まった交流戦で、5月6日広島戦の2回に1発。交流戦での本塁打12球団一番乗りだった。通算では79発で、阿部(巨人)の60本を抑えてトップ

◆1人でロッテ超え 11年は統一球導入で本塁打が出ない中、リーグ最多の48本塁打。2位松田(ソフトバンク)に23本差をつける独走で、ロッテのチーム本塁打46本よりも多かった

◆史上最多の満塁弾22本 15年7月24日日本ハム戦で大谷(現エンゼルス)から満塁弾を打ち、通算最多の王(巨人)の15本に並ぶ。同年に記録を更新し、現在は22本

◆バースデー弾 夫人の誕生日、9月10日には高確率でアーチを架ける。08年に結婚。同年をはじめ、09年、10年、11年と4年連続。さらに13年、16年、17年にも“祝砲”を打ち上げた。一方で自身の誕生日8月15日には、3本塁打しか記録していない

<長嶋茂雄とホームラン>

◆ベース踏み忘れ 58年9月19日広島戦(後楽園)で1-1の5回に鵜狩から勝ち越しソロ。しかし一塁ベースを踏み忘れ、本塁打が取り消しに。この年は打率3割5厘、29本塁打、37盗塁で、「幻の1発」でトリプルスリーを逃した

◆天覧試合でサヨナラ弾 59年6月25日阪神戦(後楽園)は昭和天皇が来場の天覧試合。4-4の9回に村山から左翼ポール際にサヨナラ弾。「フェアかファウルか」の論争が起きた

◆開幕戦で最多本塁打 通算10本は門田(ダイエー)の9本を抑えて歴代最多。70~74年の5年連続本塁打も最長記録

◆ONアベック弾は106度 王とのアベック本塁打は通算106度で、これは歴代最多。ちなみに、最初のONそろい踏みが59年の天覧試合だった

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