興南(沖縄)、京大などで監督を務め、今年1月4日に死去した比屋根吉信氏(享年70歳)のお別れの会が11日、那覇市内の那覇葬祭会館で営まれた。約150人が出席。主催した興南野球部OB会長・上原義則氏による開式の辞の後、全員で黙とうをささげた。

報徳学園(兵庫)で内野手、大体大で投手としてプレー。西濃運輸で日本選手権大会に出場。1976年、保健体育教諭として赴任した興南で監督を11年間務め、春夏計6度の甲子園大会に導いた。その後、阿部企業、有明(熊本)で監督を歴任し、09年秋のリーグ戦後から京大の指導にあたった。

興南から阪神入りして活躍した渡真利克則氏、仲田幸司氏、元横浜竹下浩二氏、デニー友利氏、名幸一明氏らを育てた。京大初のプロとなった元ロッテ田中英祐氏を指導するなど、多数のプロ野球選手を輩出した名監督だった。

お別れの言葉を述べた元京大野球部監督(現OB会長)で、日本高野連・宝馨(たから・かおる)会長は、西宮北(兵庫)1年のときに、大体大3年だった比屋根氏に指導を受けたエピソードを持ち出しながら「京大では君らは難関校の入試を合格した成功体験がある。それを生かしなさいと教えてくださいました。また日本を動かす人物になれ、と励ましてくださっておりました。多くの人材を育てられた野球人として、指導者として、まだまだご指導を仰ぎたかったのに、大変残念に存じています」とあいさつした。

また興南・我喜屋優監督(興南学園理事長・校長)は「比屋根さん、ちょっと早過ぎはしませんか」と語りかけ「あなたはだれもが認める大監督でありました。あなたが築いてきたものを受け継いで、責任をもって沖縄県を代表する人材を作り上げます」と締めた。続いて興南OBで元西武仲田秀司氏があいさつした。

80年夏の甲子園8強メンバーで、実行委員長の真栄田聡(まえだ・さとし)氏も「県内で7年連続決勝戦進出を達成した監督は、比屋根先生ただ1人です。教育とは教え育てることだと話していた。80年代の沖縄の高校野球史に一時代を築いた方です」と、教え子たちが故人をしのんだ。最後に比屋根氏の長男・亮太氏がお礼の言葉を述べ、全員が献花をして閉会した。 【寺尾博和】