7月の世界野球ソフトボール連盟(WBSC)の会長選挙に、85年阪神日本一監督・吉田義男氏(88)がフランス代表監督だった当時の教え子で、前フランス野球連盟会長・ディディエ・セミネ氏(56=フランス五輪委員会専務理事)が立候補することが27日、分かった。国際インタビューに応じた同氏が「野球・ソフトボール」の五輪復活に向けた足がかりなど抱負を語った。(聞き手=寺尾博和編集委員)

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-まずWBSC会長選挙に立候補を決めた理由を聞かせてください。

セミネ氏 私にとって野球・ソフトボールは“世界”を感じさせてくれるものです。このスポーツの素晴らしさは、多くの努力に値するものだと痛感したのです。選手時代から指導者、そして役員になってからも、常に全力でさらなる発展を目指してやってきたつもりです。WBSC会長となっても、その気持ちに変わりはないし、組織改革に努めていく決意です。

-ここに至るまで、野球未開のフランスをはじめ欧州で「野球・ソフトボール」を広めるために情熱を注いできた。

セミネ氏 私は今でも、少年時代に初めてグラブに指を入れてグランドに飛び出した時のことを鮮明に覚えています。野球というスポーツにほれ込んで、自分の人生から切り離す事の出来ないものになるだろうと確信した。しかし、私は野球・ソフトボールが全く一般的に浸透していない国(フランス)に生まれたわけで、このスポーツを世界に広めていくには、忍耐と時間、そしてエネルギーが必要だと感じました。

-野球人口が減少傾向の状況にあって、14年を第1回大会として仏野球国際大会「吉田チャレンジ」を開催しています。日本代表チームも参加した。

セミネ氏 これまでご協力いただいた全日本野球協会には感謝してます。こちらではフランス代表監督だったムッシュ吉田(義男氏)は、野球に国境がないことを教えてくれた“フランス野球の父”としてリスペクトされています。今後もその教えを継承していく必要があります。

-21年東京五輪をもって再び野球・ソフトボールは五輪から除外されます。

セミネ氏 私も訪日しましたが、コロナ禍などさまざまな状況下で開催された東京五輪は素晴らしい大会で、大成功を収めたと感謝と敬意の意を表します。野球・ソフトボールが除外される事実は、一人の野球人として、また次期開催国でもあるフランス五輪委員会専務理事として大変残念なことです。必ずどこかのタイミングで復活させなければなりません。

-WBSC会長に就いた際に組織改革を行う優先事項はありますか。

セミネ氏 WBSCは過去数年において有効的な活動で利益を生む事に成功しました。しかし、同時に資金の流れや方向性に関してさらに透明化を図る必要があると考えています。そのためには大陸べースでバジェットの拡大をはかって、そのために経費の節減も必要で、現在の世界経済状況に合った組織の運営を図っていきたいです。安定した資金確保を確立し、国、大陸レベルでの発展につなげたい。例えば野球の発展途上国でも盛り上がるように、もっと多くの国が参加出来る大会方式を模索していくつもりです。さらにインターナショナルな組織にしていかなければなりません。

-その意味ではメジャーリーグの欧州開催も「野球・ソフトボール」を世界的に拡大していく契機かもしれませんね。

セミネ氏 19年にMLB史上初の公式戦(レッドソックス対ヤンキース)が行われ、2試合で計11万8781人のファンを集客したのはサプライズでした。非常に盛り上がった画期的なイベントでしたね。

-今後オリンピズムの中の立場として、どのような展開を描いていますか。

セミネ氏 2024年にはフランスでオリンピックが開催されますが、野球・ソフトボールが正式種目として選ばれなかったのは我々の努力が足りなかったのかもしれません。26年はダカールでヤング五輪が開催されるし、28年ロサンゼルス五輪、32年ブリスベン五輪に向けて歩を止めるわけにはいきません。必ず野球・ソフトボールを五輪に復活させて、その素晴らしさを世界に広めていくため、さらにアクセルを踏み込んでいくつもりです。