5年目の日本ハム田中瑛斗投手(22)がロッテ戦(ZOZOマリン)でプロ初先発初勝利を挙げた。1日に支配下選手へ復帰したばかりの17年ドラフト3位右腕は、同学年の同1位清宮幸太郎内野手(23)の初2ケタ10号となる先制ソロを皮切りに大量援護を受け、6回4安打1失点と好投。昨オフの戦力外通告を乗り越え、七夕の夜に77球の熱投で待望の白星を手に入れた。

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初勝利の瞬間、苦難の道を乗り越えるようにベンチの柵をピョンっと跳び越えた。笑顔の田中が勝利の円陣の中心に立った。「ありがとうございます」と頭を下げ、一丁締めの音頭。首脳陣、チームメート、スタッフ、そして球場全体から祝福の拍手が降り注いだ。

苦しみも自信もつかんだ2軍戦のように、気負わず投げた。1年目から今年5月まで2軍でも未勝利。その間に右肘を痛め、20年は登板ゼロ。手術もし、昨オフには戦力外となって育成で再出発。地道に結果を残し、6月11日に初めて2軍で先発勝利を挙げ、1日に支配下へ復帰を果たした。

田中 そういうヤツこそ、チャンスをもらった時こそ強いんだぞってところを見せたかった。

最速150キロの直球を要所で勝負球とし、今季から投げ始めたシュートも効果的に使って1軍では初先発初勝利を決めた。

盟友のアーチに勇気をもらった。2回に清宮が先制10号ソロ。「ちょうど裏で着替えていて…。幸太郎が打ったと聞いて戻った」。慌ててベンチへ戻り、笑顔で抱き合った。仲のいい同期入団で同学年。登板前には寮の風呂で「明日は勝てるやろ~。そろそろ勝てるやろ~」と、いつも励ましてくれていた清宮からの援護は大きな力となった。

三塁側スタンドには地元大分から出向いた父精一さん(49)が見守っていた。「ここからが大事だぞ」と言われていた父に試合後、清宮から受け取ったウイニングボールを手渡した。

七夕に訪れたメモリアルデーに新庄監督も「縁起のいい日に勝てるなんて、なんか持ってるんじゃない? 」と祝福。「6回77球、7月7日、覚えておきます」と笑った田中が、この日一番の輝きを放っていた。【木下大輔】

▽田中瑛斗(たなか・えいと)

◆生まれ 1999年(平11)7月13日、大分県中津市生まれ。

◆球歴 小2から軟式野球を始め、投手と遊撃手で活躍。中津中では野球部に所属し、中3から投手に専念した。柳ケ浦では1年秋からベンチ入りし2年秋からエース。甲子園出場経験はないが、3年夏の大分大会準々決勝大分戦で149キロをマークし、注目される。

◆ドラフト 17年に3位で日本ハム入団。

◆甘いマスク モデル体形に甘いマスクで人気。18年の新人合同自主トレ初日に球場で販売されたフェイスタオルが清宮ら新人7選手一番乗りで完売した。

◆慰問活動 プロ入り後、故郷の大分・中津市の小児病棟への慰問活動を続けている。

◆1軍デビュー 19年9月27日オリックス戦でプロ初登板。2番手で2イニングを投げ2安打2失点(自責1)。

◆手術 20年7月に右肘関節鏡視下手術を受け、20年は1、2軍ともに未登板。

◆育成契約 21年12月に育成選手として再契約。1日に支配下選手として球団と再契約した。背番号は93。

◆サイズ 184センチ、77キロ。右投げ左打ち。

 

▽日本ハム松本剛(3回に左前適時打)「田中に勝ちを。それだけです」

▽日本ハム野村(5回に中前適時打)「打たなきゃ選手としての価値がないので、必死にいきました」

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