阪神糸井一問一答

--引退を最初に伝えた人は

全て決断というのは自分でしてきたので、自分の心の中で。リトル糸井です。

--矢野監督からは

『嘉男との4年間、喜び分かち合ったり、悔しがったり、そういう時間を過ごせて本当に良かった。代打が多かった中で、腐らずにやってくれた』。そういう泣きそうになるような言葉をいただきました。

--金本前監督に報告は

はい。シーズン中もたびたびというか、たまに連絡いただいたりするんですが、『おい補欠』とか、『何しとんじゃい』とか連絡をいただいて。金本さんからしたらもうしょぼい成績なんで、『そんな成績でようそこまでやったのう』って、最高のねぎらいの言葉をいただきました。

--稲葉GMからはどういう声を掛けられた

『嘉男も辞めるかー』と。一番近くで目標にしていた選手が稲葉さんなので、ああいう選手になりたいなと。後輩への対応を見ていても、すごく尊敬していましたので、本当に目標にしていました。ねぎらいの言葉をいただきました。

--パ・リーグでの日々を振り返って

日本ハムでは僕の野手としての可能性を引き出していただいて、数々のすごい先輩たちに恵まれて、その人たちに追いつこうと必死に頑張った。オリックスでは主力として迎え入れてくれて、そこに僕も認められないといけないという気持ちで頑張ってきました。タイトルも取らせていただいたし、この2球団には本当に感謝しています。

--阪神での6年間はどんな時間だったか

熱狂的なファンの声援に本当に衝撃を受けました。そんな甲子園球場で初めてプレーさせてもらって、すごい胸が熱くなった。最後そこで終われるというのは僕の中で本当に幸せです。

--同じ近大の後輩佐藤輝に期待することは

『もっと練習せい!』 ハッハッハ。大学の後輩で、同じ左バッター、体形も似てますね。だから、すごく気にかけては見ていました。絶対に球界を代表するような選手に、絶対になってほしい。そういうポテンシャルは持っていると思うので、これからも僕は見守っていきたいと思います。

--超人と呼ばれることについて

最初は『チョウジン』と言われて羽も生えてへんし、空も飛べへんし。そっちの『鳥人』やと思っていましたけど(笑い)。でもそうやって呼んでくださることでモチベーションは上がっていました(笑い)。

--19年間を振り返って

やっぱり長いようで短かったなと。僕の中ではやっぱり野手に転向という選択をしたあの出来事が、僕のプロ野球選手の土台でした。あの時必死に練習をやって、19年できたのかなと僕の中で思っています。

--メディアを通して「勝ちたい、絶対勝つ」と話してきた。阪神での優勝への思いが強かった

もちろん。(国内)FAの時に力を貸して欲しいと言われて入団したので、絶対に優勝は経験したかった。できなかったというのは僕の中では心残りなんですけど、これからそれは今の選手たちが絶対にかなえてほしいなって。今年もまだチャンスはありますし。

--本当に数々の記録を残してきたが、一番誇れる記録は

記録ではないんですけど、やっぱりピッチャーから野手になると決断した時からの出来事というのは、アスリートとして、選手として誇れるかなと思います。

--後輩たちへ託す思いは

本当にタイガースには、すごくいい若い選手もいますし、これだけ年が離れていても仲良く接していただいて、本当に後輩にはすごく感謝しています。これからね、今もみんな活躍し始めていますけど、もっともっと、若い子らが出てくると思うので、またそういう後輩の活躍というのは自分のことのように思って見ていようかなと思います。

--多くの投手と対戦したが、ワクワクした投手は

やっぱり大谷翔平投手。ものすごかったです。サイン欲しいです(笑い)。

--どこがすごかった

ストレートもそうですけど、変化球も。スライダーとか、『三塁けん制したんかな』と思うくらい、三塁方面からまた曲がってきましたね。

--阪神にベテランがいなくなる。今後引っ張る存在として期待する選手は

ベテランがいなくなるのはあまり関係ないと思う。みんなしっかり自分を持って、チームのことを考えてやっていますし。大山選手だったり、近本選手も、引っ張っていける選手も育っているので。頑張っていってほしいです。

--いろんな指導者に出会った中で、覚えている言葉は

本当に数々のいい指導者に恵まれました。一からバットを振ることをたたき込まれた当時日本ハムで、今オリックスGMの福良さんだったり、大村巌コーチ(現DeNA2軍打撃コーチ)には『お前を教えるのは本当に苦労した』と言われましたね。本屋さんで犬のペットの育て方みたいなのを買って、それを読んでヒントを得たと。犬のペットの育て方で僕は育てられました(笑い)。

--超人軍団のソフトバンク柳田、オリックス吉田正に連絡は

もちろん。もう率直に今年でやめると。本当に、他球団ですけど『一緒に練習しましょう』とか言ってくれて、僕もあの2人には刺激をもらいました。2人とも僕とやってから、僕をどんどん超えていって、雲の上の存在になってしまった。本当に出会えて良かったなと思います。

--吉田正選手とは、今年1月に佐藤輝を連れて自主トレにいった。つながりは継続してほしい

そうですね。僕はもう外からになりますけど、やっぱり球界を代表するバッターなので。また輝と他にもいますけど、また見てもらって。たまに僕も練習行こうかなと思います。

--改めて野球の魅力はどうとらえている

魅力は人と人との、仲間だったり、技術は進んでいますけど、自分がやったことを成長を感じられるスポーツですし、本当に魅力たっぷりだと思います。

--SMAPの「SHAKE」を登場曲として使用。球場が一体になる特別な瞬間はどうだった

あれが聞けなくなるのは本当にさみしいですね。ファンの方に『糸井ならやれるーや』と、フレーズをもらって、本当にありがたかったです。

--投手から野手に転向して活躍する姿は、プロ野球界、子どもたちにも勇気を与えた。伸び悩む後輩や子どもたちにエールを

いろいろ苦しいこともありましたけど。そういうのは絶対に訪れるので。『野球が好き』というのは僕の中ではそれが絶対に心の中にあった。何が来ても乗り越えられましたし、『絶対に活躍するんだ』という気持ちを持っていれば努力もしますし。そういう気持ちがあれば、何でもできると思います。

--地元宮津のファンへ

地元は田舎なんですけど、たまにバス2台くらい貸し切って大人数で応援に来てくださったりしていたのは、本当に感謝している。たまにやりすぎちゃうくらい激しく動いたりしたので少し恥ずかしい思いもしました(笑い)。でもやっぱり田舎の声援というのはすごく力になりました。

--ゆくゆくはユニホームをまた着たい

そうですね。おっさんになってきたら、若手の活躍がうれしくなってくるもんなのかもしれないですけど、本当にうれしかったですし、ゆくゆくは何らかの形でプロではなしに、野球の発展につながるのであれば、指導とか、携われたらなと思います。

--昨日の涙は寂しさの涙か、達成感の涙かどっち

両方ありますね。実感が湧かないというか、会見に明日行くのかという実感がなかったので、それで昨日、会見もありますし、みんなに知らされるということで実感してきましたし、その中で思い出やいろんなことがあった中で、回りに回って一睡もできませんでした。

--元阪神の福留の引退をどう受け止めた。一緒のタイミングでの引退となったが

福留孝介さんというのは僕の中で偉大で、もちろん目標でもありましたし、参考にもさせてもらったバッターだったので、そういう方とタイガースで一緒にプレーできた時間はとても貴重でした。タイミングは同じですけど、福留さんが経験してきたことは倍ぐらい違いますし、やってきた年数も本当にすごいなと改めて思います。

--最後にファンへメッセージを

本当に受け入れていただいて、僕としてもあの大声援の中でできたというのは幸せですし、衝撃も受けました。本当に感謝しています。これからはメガホンもって、一緒に甲子園で応援できればなと思います。