西鉄ライオンズの黄金期を支えた中西太氏(日刊スポーツ評論家)が、11日午前3時38分、東京都内の自宅で心不全のため死去していたことが18日、分かった。90歳だった。

74~75年まで日本ハムの監督を務め、西武の前身、西鉄ライオンズで活躍した同氏の死去を悼み、日本ハム-西武戦前には、エスコンフィールドの大型ビジョンに日本ハム監督時代の画像が掲示され、黙とうがささげられた。試合中は、弔意を表す半旗が掲げられた。

同氏は西鉄ライオンズの黄金期を支え、現役時代は“怪童”と称されたスラッガーだった。本塁打王5回、首位打者2回、打点王3回のタイトルを獲得。日本ハムでは74、75年と指揮を執り、1年目は前期が25勝36敗4分け、後期は24勝39敗2分けで、いずれも6位、2年目は27勝30敗8分けで、後期が28勝33敗4分けで、いずれも4位だった。

【写真特集】中西太さん追悼 稲尾と豊田と・・・野球を愛し続けた日々