<阪神2-2中日>◇27日◇甲子園

 復活を祝う勝利はお預けになった。阪神は、4位中日と死闘の末、今季初のドロー。延長12回、1死満塁としたがサヨナラ機を逸した。貯金0で迎えた中日とのリーグ再開初戦。あの大けがから89日ぶりに帰ってきた西岡剛内野手(29)が、1番サードで先発したのが何よりの収穫だった。モヒカン風ヘアーで再出発した元気者が、虎の推進力になってくれる。

 土壇場の延長12回1死満塁で迎えたサヨナラ機、西岡がベンチの中央で笑顔を見せていた。引き分けに終わると一変して険しい表情で引き揚げる。「勝てれば良かったんですけど」。背番号7はやはり、カクテル光線のなかでこそ映える。心臓をわしづかみにされそうな1球の攻防こそ、生きざまを示す舞台なのだ。

 「モチベーションを上げてくれるのはファンの人。今日の声援も聞こえたし、どの選手よりもいい歓声をくれた。それに応えられなくて悔しいですね」

 復帰戦も攻めに攻めた。1球への執念を見せたのは同点に追いついた直後の7回だ。先頭谷の打球が三遊間の前方へ。三塁からチャージをかけたが折れたバットもゴロを追うように飛んできた。それでも、身の危険にひるまず、白球だけを追う。ファンブルしながらもアウトにした。8回には森野のライナーを身をよじらせながら好捕。失策も犯したがハツラツと動いた。

 人は、人の支えあってこそ生きられる。西岡は「思っていたより早く復帰できた」と言う。鼻骨骨折、左肩鎖関節脱臼、左右の肋骨(ろっこつ)骨折…。重傷だった。都内の病院に入院したが、自力で起き上がることもできなかった。電動ベッドで上体を起こし、誰かに背中を支えてもらわなければ立ち上がれない状態だったという。

 普通の人の速度で歩くことすらできない。選手生命を脅かすピンチに立たされても「仲間」のいたわりがあった。大和や今成らが病床を見舞う。球場に届くファンレターは負傷後に激増したという。甲子園のクラブハウス。西岡のロッカーには千羽鶴も飾られた。両親は炎天下の鳴尾浜にも駆けつけ、2軍戦を見守っていた。周りには、後押しする人の思いがあふれた。

 約3カ月ぶりの1軍戦は5打数無安打だったが4打席目に強烈なセンターライナー。「最初の3打席は紙一重で4打席目に修正したけど、ここは修正する場所じゃない。着実に1歩1歩。飛び越えて前に進むことはできない」と言う。敗れれば借金生活に転じる危機をまぬがれた。伸びやかにフィールドを動く姿が何よりの前進だろう。不屈の勝負師が、完全復活への第1歩を刻んだ。【酒井俊作】<西岡復帰までの道のり>

 ◆3月30日

 巨人戦(東京ドーム)の2回、右翼福留と激突し、後頭部を地面に強打。救急車で搬送され入院した。鼻骨骨折と左肩鎖関節脱臼、左右肋骨骨折などの重傷。

 ◆4月2日

 前日1日に転院していた、大阪府内の病院を退院。

 ◆同30日

 リハビリを開始。甲子園クラブハウスで水中歩行や治療を行った。

 ◆5月13日

 負傷後初めて鳴尾浜で練習。ダッシュ走や約50メートルのキャッチボール、室内でティー打撃。

 ◆同27日

 鳴尾浜で故障後屋外初のフリー打撃。

 ◆6月3日

 負傷後初めて甲子園でノックを受けた。二塁、遊撃、三塁と3つの守備位置。

 ◆同13日

 2軍ソフトバンク戦(甲子園)で実戦復帰。1番DHで先発し、75日ぶりのプレー。

 ◆同18日

 2軍交流戦の楽天戦(鳴尾浜)で負傷後初めて守備についてのフル出場。「1番三塁」。