日本フェザー級1位源大輝(27=ワタナベ)が、初防衛を狙った王者大橋健典(28=角海老宝石)を7回1分12秒TKOで下し、2年半ぶり2度目の挑戦で初戴冠した。がんでなくした母礼子さん(享年63)の一周忌に悲願のベルトを巻き、「母ちゃんの命日に…。見てくれていたと思う。これは運命」とリング上で声をつまらせた。

 スピード豊かなパンチ、フットワークで初回からペースを握ると、踏み込み鋭い右ストレートを大橋の顔面にヒットさせた。ペースを握る。左右に位置をずらしながらのフックも効果的で、「いけるかと思って油断した」。2回からは大橋に距離を詰められて、自身も強引に至近距離からの雑なパンチが目立った。「反省ですね」と課題が出たが、気持ちでは弱気を封じた。「集中しろ」のセコンドの声に、ステップを踏み直してチェンジ・オブ・ペース。そこから得意距離の遠目からの右ストレートを再発してリズムを取り戻し、サウスポーへのスイッチなど鍛錬の成果も随所に見せた。最後はダメージ深い大橋に一気に連打を浴びせて、レフェリーストップを呼び込んだ。

 故郷の大分県で中学校を卒業後、飲食店経営の実家で修行の日々を送った。「料理の方向に進もうと思っていたけど、敷かれたレールを進むのに反発した」と一念発起。「拳2つで成り上がるかっこよさ」に引かれ、格闘技経験はなかったが東京でプロボクサーになろうと決めた。ボクシングが大好きだった気功師の母は大反対。「お前なんてチャンピオンになれない」と認めてくれなかった。制止を振り切って、ワタナベジムに入門した。

 試合を繰り返すたびに、実家にDVDを送った。年月が過ぎた。少しずつ、母は認めてくれるようになった。「お前のボクシングには華がある」。女性ながら自分を「おれ」と呼ぶ母から、「おれの息子なんだからチャンピオンにならないとおかしい」とハッパを掛けられるようになった。ただ、その言葉が現実となる前に母は逝った。がんを発症。昨年の4月7日。東京から病症に付き添った長男に電話をつないでもらい、意識がない母に呼び掛けた。「絶対にベルトを取るから」。息を引き取ったのはその5分後だった。「聞こえていたと思う。約束を守れて一安心です」と1年後のこの日、母の予言を実現させた。

 源家に取って昨年は本当につらい1年だった。母が逝去する前の1月13日、自身の26歳の誕生日の日に次男の兄貴登さん(29歳で死去)が交通事故で亡くなった。「ものすごく激動の1年だった」。競技を続けるにも、すぐに気持ちは前を向かなかった。ただ、約束があった。指導する石原トレーナーは「気持ちの面が成長した。前は弱気の面が出ることがあった。今日も強気でいってくれて」と覚悟を決めてからの変化を感じたという。

 「この階級には世界ランカーもいる。日本人同士でもいい。誰とでもやります」と勝利後のリングで宣言した。「家が厳しくて、門限は午後5時。髪を染めるなんて考えられなかった」と今は金髪に近い髪をなびかせ、スピード豊かに立ち回る新王者。母が感じ取った「華がある」スタイルで、さらなる朗報を天国に届ける。【阿部健吾】