プロ格闘家でK-1、HERO's、UFCなどで活躍した日本を代表するファイター、山本“KID”徳郁さん(本名岡部徳郁=おかべ・のりふみ、旧姓山本=KRAZY BEE)が18日、胃がんのため療養中のグアムの病院で亡くなった。41歳だった。担当記者が見たその勝負師の神髄を語る。

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衝撃的だった。わずか4秒。まばたきする暇もない。06年5月3日、東京・代々木第1体育館。当時HERO'sミドル級王者だったKIDさんは、00年シドニーオリンピック(五輪)レスリング代表の宮田和幸と対戦した。アマレス出身同士。だれもが寝技を含めたレスリング対決を予想する中、常識を超えたことが目の前で起こった。

開始ゴング直後、KIDさんは助走をつけ、右足を出して、勢いよく跳んだ。右で蹴ると思わせた瞬間、左膝を顔面に決めた。試合3日前の夜、ひらめいた必殺技。「(宮田は)五輪代表の意地をかけてタックルでくる。跳べばいい。前に人がいなければ、タックルできない」。小さな体に備わる動物的な勘に驚くしかなかった。

父郁栄氏はミュンヘン五輪代表。5歳からレスリング漬けで、正月も誕生日も汗を流した。不利な判定で五輪メダルを逃した父の口癖は「判定決着はだめ。勝つならKOか一本勝ち」。子供のときに誓った。「負けてもいいから、白黒はっきりつくまで戦う。無難に勝つことはありえない」。「4秒KO劇」の裏には、父から学んだ勝負魂があった。

父だけでなく母の存在も大きかった。22歳のとき、母憲子さん(享年51)が亡くなっている。レスリング経験者で、栄養士の資格を持つ母には幼少期から支えられた。「生きているときは練習をサボってもばれなかったけど、今は全部見てる。試合も最高の特等席で見ている。だから負けられない」。そんな最愛の母のもとに、こんなに早く行ってしまうとは想像もしていなかった。【田口潤】