12年ロンドン・オリンピック(五輪)男子バンタム級銅メダリストでWBO世界フェザー級11位の清水聡(37=大橋)は世界王座を奪取できなかった。

WBO世界同級王者ロベイシ・ラミレス(29=キューバ出身)に5回T1分8秒でTKO負け。2大会連続五輪(12年ロンドン、16年リオデジャネイロ)金メダルのラミレスとのメダリスト対決でもあったが、37歳4カ月の国内最高齢の世界王座獲得はならなかった。

サウスポー同士の対戦だった。序盤から王者ラミレスの時折飛び込んでの連打、左アッパー、左フックを決められた。2回には清水がワンツーをふるって前に出たが、すぐにラミレスの下からはね上げるような左アッパーを浴びた。清水の目が腫れ始める。3回からは左ジャブを多用も、1分すぎにラミレスの左強打が決まった。4回には2分すぎにラミレスが清水をロープに詰めて連打と終始劣勢に立たされた。

5回、清水は前に出てジャブを突くが、ラミレスの高いガードに阻まれた。40秒すぎに王者の強烈な左アッパーの連打でダウンすると、再開後に再びラッシュを浴びた。防戦一方になったところでレフェリーがストップした。

16年9月のプロデビューから約7年でたどり着いた念願の世界戦だった。今年4月、アイザック・ドクボエ(ガーナ)との王座決定戦を制して新王者になったばかりのラミレスとのメダリスト対決に向け、清水は「アマとプロは土俵が違う。金より上にいきます。世界王者になることが目標でプロになったことが1番。ロベイシ・ラミレスから何としても世界ベルトを奪い取る」と燃えていた。

17年10月に当時最速のプロ4戦目で東洋太平洋フェザー級王座を獲得した清水は21年5月、森武蔵との東洋太平洋、WBOアジア・パシフィック同級王座を統一した。一方で19年7月には1階級上のWBOアジア・パシフィック・スーパーフェザー級王者ジョー・ノイナイ(フィリピン)に挑戦し、計3度のダウンを喫して6回TKO負け。両眼窩(がんか)底、両眼窩内など計4カ所を骨折する重傷も負った。

20年からはコロナ禍で世界戦のマッチメークが難航。大橋秀行会長は「(世界戦が)決まりかけては消え、決まりかけては消えが続いた」と振り返る。紆余(うよ)曲折を経て、世界王座に王手を懸けた一戦だった。清水は「コロナ禍で試合が組まれず、試合に負けたこともありました。でもコツコツやって世界戦にたどりつけた。勝って終わりたい」と意気込んで挑んだ世界戦リングだった。

最終調整では思うようにコンディションが上がっていなかった。スパーリングでも押される場面も多く、拳の硬い左強打となる「ダイヤモンド・レフト」のキレ味が戻ってきたのが、試合2週間前だった。もともと本番に強いタイプ。「世界王者になるために自分はプロに転向した」と言い続けてきた清水は「あと少し時間があるので、しっかり調整して。上げていくだけだから」とプラス思考で調整してきたが、ラミレスを倒すことはできなかった。

 

▽ラウンドVTR

【1回】

サウスポー同士の対戦。開始早々、身長で15㌢上回る清水が長い距離からワンツーをはなつ。ラミレスは高いガードで清水のパンチをブロック。ラミレスは時折飛び込んでの連打。中盤に王者の左アッパー、左フックが決まる。終盤にも王者の左アッパーがクリーンヒット

日刊採点 ラミレス10-9

【2回】

清水がワンツーをふるって前に出る。すぐにラミレスの下からはね上げるような左アッパーがクリーンヒット。清水の目が腫れ始める。中盤に清水の左ストレートがヒットするが、ラミレスも連打で反撃。終盤はラミレスの右フックが顔面からボディーに決まる。

日刊採点 ラミレス10-9

【3回】

清水が開始から左ジャブを多用する。50秒すぎに王者が右フックが当たる。1分すぎにラミレスの左強打が決まり、清水が頭を下げる。中盤はラミレスが接近戦から左フックを決めたが、残り1分、清水の左ストレートがクリーンヒット。終盤はラミレスの手数が減る。

日刊採点 ラミレス10-9

【4回】

ラミレスが開始から連打を放ちながら前に出る。清水も前に出るが左アッパーを食う。それでも清水は前に出ながらワンツー。中盤は再びラミレスが接近戦から左右アッパーを決めるが、清水も前に出ながらパンチを返す。2分すぎにラミレスが清水をロープに詰めて連打。

日刊採点 ラミレス10-9

【5回】

清水は前に出てジャブを突くが、ラミレスは高いガードでブロック。40秒すぎにラミレスの強烈な左アッパーの連打で清水がダウン。立ち上がったが、再開後にラミレスが再び連打でラッシュ。清水が防戦一方になったところでレフェリーがストップした。

 

 ◆清水聡(しみず・さとし)1986年(昭61)3月13日、岡山・総社市生まれ。中学3年で地元ジムに通い始め、関西高を経て駒大で国体など3度全国優勝。08年北京五輪は2回戦敗退。自衛隊に入り、12年ロンドン五輪バンタム級銅メダル。その後ミキハウスに入社し、16年リオデジャネイロ五輪を目指すも選考会で敗退。アマ戦績は150勝(70KO)20敗。16年に大橋ジムからプロデビューし、17年に当時最速の4戦目で東洋太平洋フェザー級王座を獲得。21年にWBOアジア・パシフィック同級王座も統一。身長180㌢の左ボクサーファイター。