14場所ぶりに幕内復帰した大関経験者の東前頭17枚目照ノ富士(28=伊勢ケ浜)が、30場所ぶり2度目の優勝を果たした。

3敗の単独トップで迎えた千秋楽。敗れれば優勝決定ともえ戦にもつれ込む本割の関脇御嶽海との一番を制し、13勝目を挙げた。殊勲賞、敢闘賞の三賞2つも獲得した。

大関経験者が関脇以下で優勝するのは昭和以降では2人目。優勝と優勝の間で十両以下に陥落した力士はおらず、史上初の快挙となった。

照ノ富士のこれまでの軌跡を写真で振り返ります。


復活!30場所ぶり2度目優勝

御嶽海(右)を寄り切りで破る照ノ富士(撮影・河田真司)
御嶽海(右)を寄り切りで破る照ノ富士(撮影・河田真司)
御嶽海を破り土俵下で天を仰ぐ照ノ富士(右)と、優勝を逃し静かに目を閉じる正代(撮影・河田真司)  
御嶽海を破り土俵下で天を仰ぐ照ノ富士(右)と、優勝を逃し静かに目を閉じる正代(撮影・河田真司)  
幕尻優勝を果たし、八角理事長(右)から賜杯を受け取る照ノ富士(撮影・河田真司) 
幕尻優勝を果たし、八角理事長(右)から賜杯を受け取る照ノ富士(撮影・河田真司) 
優勝旗を照ノ富士に渡す師匠の伊勢ケ浜親方(撮影・鈴木正人)
優勝旗を照ノ富士に渡す師匠の伊勢ケ浜親方(撮影・鈴木正人)
三賞の記念撮影で殊勲賞と技能賞のトロフィーを手に笑顔を見せる照ノ富士(代表撮影)
三賞の記念撮影で殊勲賞と技能賞のトロフィーを手に笑顔を見せる照ノ富士(代表撮影)

大関昇進まで駆け上がるも、以降はケガと病気との戦い

13年7月に新十両昇進、若三勝から四股名を照ノ富士に 十両優勝も果たす

2013年7月24日 新十両昇進が決まり、しこ名を若三勝から変更した照ノ富士と師匠の伊勢ケ浜親方(撮影・木村有三)
2013年7月24日 新十両昇進が決まり、しこ名を若三勝から変更した照ノ富士と師匠の伊勢ケ浜親方(撮影・木村有三)
2013年9月29日 大相撲秋場所 千秋楽 十両優勝の照ノ富士
2013年9月29日 大相撲秋場所 千秋楽 十両優勝の照ノ富士

14年2月 新入幕を果たしガッツポーズ

新入幕が決まり番付表を手にガッツポーズする照ノ富士(14年2月24日)
新入幕が決まり番付表を手にガッツポーズする照ノ富士(14年2月24日)
シロクマをデザインした自分の反物でつくった浴衣を着る照ノ富士(14年7月)
シロクマをデザインした自分の反物でつくった浴衣を着る照ノ富士(14年7月)

15年2月 新関脇に昇進

童心に帰って、部屋近くの公園で雲梯(うんてい)をつかむ新関脇の照ノ富士(15年2月)
童心に帰って、部屋近くの公園で雲梯(うんてい)をつかむ新関脇の照ノ富士(15年2月)

15年5月場所で初優勝 大関昇進を果たす

初優勝を飾った照ノ富士は、賜杯を手に笑顔でバンザイ(15年5月)
初優勝を飾った照ノ富士は、賜杯を手に笑顔でバンザイ(15年5月)
パレードに出発する照ノ富士(右)と旗手を務める日馬富士(15年5月)
パレードに出発する照ノ富士(右)と旗手を務める日馬富士(15年5月)
大関昇進に笑顔の照ノ富士(中央)。左から淳子夫人、1人おいて伊勢ケ浜親方(15年5月)
大関昇進に笑顔の照ノ富士(中央)。左から淳子夫人、1人おいて伊勢ケ浜親方(15年5月)

15年9月場所 稀勢の里戦で右膝から崩れ落ち黒星、自力で花道を歩けず

稀勢の里(奥)の寄りにヒザから崩れ落ちる照ノ富士(15年9月25日)
稀勢の里(奥)の寄りにヒザから崩れ落ちる照ノ富士(15年9月25日)
付き人の体を借り、花道を引き揚げる照ノ富士(15年9月25日)
付き人の体を借り、花道を引き揚げる照ノ富士(15年9月25日)

18年1月場所 史上4人目となる元大関の十両陥落が決まる

勢に寄り倒しで敗れて座り込む照ノ富士(左)(撮影・丹羽敏通)
勢に寄り倒しで敗れて座り込む照ノ富士(左)(撮影・丹羽敏通)

18年6月場所 幕下陥落 19年3月場所で序二段に

寺尾翔(左)をすくい投げで破る照ノ富士(19年3月16日)
寺尾翔(左)をすくい投げで破る照ノ富士(19年3月16日)

19年11月場所で幕下優勝 関取復帰を決める

時津風部屋への出稽古でたっぷり汗をかいた照ノ富士(19年12月26日)
時津風部屋への出稽古でたっぷり汗をかいた照ノ富士(19年12月26日)

20年1月場所で十両優勝 翌3月場所も2ケタ白星を挙げて幕内復帰を決める

翔猿を送り出しで下した照ノ富士(後方)(20年3月9日)
翔猿を送り出しで下した照ノ富士(後方)(20年3月9日)

◆照ノ富士春雄(てるのふじ・はるお)本名・ガントルガ・ガンエルデネ。1991年11月29日、モンゴル・ウランバートル市生まれ。18歳で逸ノ城らと一緒に来日し、鳥取城北高に留学して相撲を始める。3年時に中退して間垣部屋に入門。しこ名「若三勝」として11年技量審査場所で初土俵。13年春場所後に伊勢ケ浜部屋に転籍。同年秋が新十両昇進で「照ノ富士」に改名。14年春場所が新入幕。関脇だった15年夏場所で初優勝を果たし、場所後に大関昇進。17年秋場所に大関陥落。5場所連続休場して19年春場所に西序二段48枚目で本場所に復帰。192センチ、180キロ。血液型はO。家族は両親と姉、妹。得意は右四つ、寄り。愛称は「ガナ」。