兄弟関取の東前頭12枚目朝紅龍(27)と、東十両2枚目朝翠龍(25=ともに高砂)が、深い悲しみを抱えながら15日間を戦い抜いた。今場所前の2月27日朝に、母の石崎直美さんが58歳の若さで亡くなった。がんが十二指腸から肝臓に転移。兄の前頭朝紅龍が新十両の3年前に、がんが見つかった時には「ステージ4」だった。

朝紅龍は「余命1年と言われていたのに、よく頑張りました。幕内に上がったところも見せられて、よかったです」と、今場所中にかみしめながら話していた。弟の十両朝翠龍は、日体大を卒業後、社会人を1年経験してから角界入りしたが、最大の理由が「母が大相撲に進むのを望んでいたので、何とか関取になった姿を見せたかった」と明かした。それだけに「悔やまれるのは、兄弟で幕内土俵入りする姿を見せられなかったこと」と、遠くを見つめながら話した。

珍しいケースだが、石崎家は父ではなく母が兄弟にハードメニューを課すなど、厳しい指導で兄弟を相撲の道へと歩ませていた。原点は兄の朝紅龍が小学2年時。未経験で初参加した、わんぱく相撲の大阪・四條畷市大会1回戦で敗退した。すると直美さんがサンドバッグを購入。自宅でタックルのようにぶつかり続け、毎日1300回の腕立て伏せを課された。結果、朝紅龍は翌年に同大会で優勝。関係者に誘われ、小学3年から四条畷相撲連盟で本格的に相撲を始めた。そして朝翠龍も、同様の道を追随していった。

2人は大阪・四條畷市の実家で、最期の瞬間に立ち会うこともできた。「こっちにいる春場所の、しかも場所中ではなく場所前に亡くなって、最期まで自分らのことを考えてくれていた。『私が死んで、あんたらの足を引っ張るのが嫌や』って言っていました。昔から、母に喜んでもらうために、相撲を続けたと言っても過言じゃない。自分らが家に着いて10分後ぐらいに亡くなった。母の最期の言葉は『涼馬(朝翠龍)はメンタルが弱いから、どうにかしておいて』。最期まで相撲の心配をしていました。ここで弱くなったら供養できない」(朝紅龍)。

朝翠龍は6勝9敗と負け越したが、この日の北の若戦は、気力にあふれた内容。左でまわしを引くと、最後まで離さず、前のめりに体を預けて寄り切った。今場所が自己最高位の朝紅龍は、12日目に勝ち越しを決め、来場所は前頭1桁台をうかがう。この日の最後の取組を終えて朝翠龍は言った。「場所中は(母の死は)気にしないようにしていました。勝ち越すことはできませんでしたので、来場所、幕内を目指して頑張ります」。天国の母が願い続けていた、兄弟が同時に幕内で土俵入りする姿を、1日でも早く実現する日を夢見ている。【高田文太】

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