熱い男が拳を握りしめ、大きな1歩を踏み出した。演歌歌手山川豊(62)。昨年末で、デビューから39年所属した大手芸能事務所「長良プロダクション」を退社した。今月5日にデビュー40周年を迎えることを機に「自分のやりたいことをやってみたい」と大海原へ飛び込んだ。

デビュー40周年を迎え、意気込みも新たに拳を突き上げる山川豊(撮影・浅見桂子)
デビュー40周年を迎え、意気込みも新たに拳を突き上げる山川豊(撮影・浅見桂子)

★81年デビュー

1981年に「函館本線」でデビュー。「ここまでやっぱり早かったなっていう感じがします」。そう振り返る歌手生活40年の物語は、兄で演歌歌手の鳥羽一郎、五木ひろしの存在をきっかけに幕を開けた。

「兄貴は昔から歌が好きで、よくレコードを買っていた。自分もそれを自然と聴いていたのが歌との出会いです。でも、当時は歌手になりたいとは全く思わなかった。だけど、中学3年の時に1つの転機があって、五木ひろしさんをテレビで見た時に、この人みたいになりたいって思ってね。そこで歌に目覚めた。そこからは歌のことしか考えられなかった」

だが、中学卒業後は父親に「手に職をつけろ」と言われ、職業訓練学校の板金科へ進学。その後、鈴鹿サーキットへ就職した。

「その頃は本当に仕事が手につかなかった。ほとんど、『おなかが痛い』と言って休んで、歌を聴いていた感じです(笑い)。姉が名古屋にいたので、『どこか歌うところが見つかったら、教えてくれ』と言ったら『あるよ』と言われ、行ったところがキャバレー。キッチンに入っていたので、ビールの栓抜きから、下ごしらえ、キャベツの千切りなど一日中していましたね。その間にバンドの人に、店が始まる前に、『歌手になりたいから歌わせてくれ』って言いました」

その地道な努力が、歌手への夢につながった。

「東海4県のカラオケ大会があって、そこで優勝したら、レコードを出してくれるっていう話があったんです。優勝すると、東芝EMI(現・ユニバーサルミュージック)の人に『本当にやる気があるんだったら、東京に出てこい』と言われました」

★同期にマッチ

すぐにデビューできると思い上京したが、会社のスタッフとして宣伝などを手伝うことに。

「今考えたらそれが良かった。歌い手さんの裏で、いろんな人が動いてくれているんだって、しみじみ分かりましたから。だから、デビュー後も、歌い手とスタッフというより、お互いが同士みたいな感じでした」

やがて念願のデビューを果たしたが、思い描いていた芸能界との違いに困惑する。

「寝る間もないくらい忙しかったですね。同期デビューには近藤真彦君とかがいました。マッチがやっぱりぶっちぎっていましたが、私も何とか頑張っていました。高校生のファンクラブもあり、地方に行くと空港の外にファンがいて、それで歌手になった実感が湧いてきました」

兄も弟の背中を追い上京する。デビューは山川の方が1年早かったが、気が付いた時には逆転されていた。

「最初は、偉そうながら『兄貴、この世界は大変だよ』って言ってました。でも、兄貴が先に紅白に出たりして、バーンと兄弟の差がついちゃってね。『山川豊のお兄さんの鳥羽一郎』が、やがて『鳥羽一郎の弟の山川豊』になっちゃって。でも、僕らは恵まれていますよ。考えてみれば、兄貴がいなかったら、僕も途中でダメになっていたかもしれない。2人で(05年の)紅白に出た時なんかはもう、うれしかったね。最高の親孝行ができたみたいな感じでした」

 
 

★若手育てたい

昨年末で退社した長良事務所には、氷川きよしや水森かおりら実力派の人気歌手が所属している。

「自分の中で、卒業は5年くらい前から決めていた。どんどん後輩が育ってきているし、40周年を機に、年も60歳を過ぎたので、自分でやりたいことをやってみたいという思いがあって。本当に無理を言って、出させてもらいました。わがままを聞いていただいた上に、会社からは『何かあったら電話してこい』って。そういう言葉をかけていただいて、すごくうれしかったです」

今後は、SNSやYouTubeなどを活用し、新たなことに挑戦していくという。

「もちろん歌い手ですから、歌のヒットを出すというのはあります。だけど、時代とともにいろんな変化が来ている。だから『まともに歌っていてもだめなのかな?』『いや、演歌はそうじゃない』とか、自分の中で葛藤しています。演歌の原点っていうのは、今の歌い手さんはどうかわかりませんが、僕らは足もとを固めていましたから。キャンペーンに行ったり、いろいろと下地を作って、テレビや新聞でドーンと売れてっていう、1つの流れみたいなのがありました」

自身の携帯もようやくスマートフォンに変えた。すると、世間の反応の早さに驚きやうれしさを覚えたという。

「配信が大きな話題になっている(坂本)冬美ちゃんなんか見ていると、すごいなと思います。若い人が演歌歌謡曲を歌ってくれている。いろんなジャンルの方と一緒に音楽を作るっていうのも、これからは必要になってくると思う。演歌からちょっと離れて、ラップなんかも。僕の『流氷子守歌』(84年発売)をラップにしたらどうだって息子に言われて、今、作業している最中です。そういう意見も聞きながらコンサートとかで歌ってみて、どういう反応があるのか。そんなものもやってみたい」

今後の目標を聞いた。

「声が続く限り、歌いたいですね。でも、あんまり見すぼらしくなった時は、中途半端にダラダラやっているより、辞めた方がいい。もう1つの夢は若い子を育ててみたいっていうのがあるんですよ。やっぱり、演歌っていうのはこういうもんなんだよっていうのをね。今の子は、ポッと出て、ポッといなくなる。やっぱり下地をやらせたいなって思ってね。下地が大事なんだよって。自分が体験してきたものを教えながら、育ててみたいですね」

40周年を迎えた山川が心機一転、新しい1歩を踏みだしている。【佐藤勝亮】

 
 

◆山川豊(やまかわ・ゆたか)

1958年(昭33)10月15日、三重県生まれ。81年2月5日に「函館本線」でデビュー。86年「ときめきワルツ」でNHK紅白歌合戦に初出場。20年6月に新曲「拳」を発売。趣味はギター、ボクシング(C級ライセンス所持)、ダンス。血液型B。

▼兄の鳥羽一郎(68)

40周年おめでとう。田舎に帰った時によく思うことがあるんだ。石鏡(いじか)町という、この小さな町からよく歌手になれたなって。本当にお互いよく頑張ってこれたよな。あと何年歌えるか分からないけど、焦らずもう少し2人で頑張ってみよう。これからもファンの皆さま、そしてスタッフ、たくさんの方のお世話になっているということを絶対に忘れないように! 改めて本当におめでとう。

▼鳥羽一郎

1952年(昭27)4月25日、三重県生まれ。82年「兄弟船」でデビュー。三重県伊賀市の東京オリンピック・パラリンピック聖火ランナーも務める。

(2021年2月21日本紙掲載)