歌舞伎俳優中村橋之助(51)が14日夜、今日15日発売の週刊文春が京都の30代芸妓(げいぎ)Aさんとの密会を「禁断愛」と報じる件について、都内で会見を行った。事実上の不倫疑惑報道だが、男女の関係については否定せず、妻でタレント三田寛子(50)に叱られたことを明かした。
約20分間の会見で、スーツ姿の橋之助は「不徳の致すところ」を8回、繰り返した。10月に、大名跡の8代目中村芝翫(しかん)を襲名する目前の報道に、終始、平身低頭だった。
週刊文春には、先月29日に東京・浅草寺で行われた襲名披露のお練りをAさんが見守っていた様子や、同日夜に2人が密会したこと、同じ週に3回、Aさんが宿泊するホテルを橋之助が訪れたことなどが写真とともに報じられる。掲載される事実関係の確認、男女の関係の有無を問われた橋之助は「不徳の致すところ」と、否定しなかった。
橋之助によると、Aさんのことは20年以上前から知っていたという。歌舞伎はもともと京都で生まれ、毎年公演も行われ、花柳界との縁も深い。橋之助はAさんについて「襲名のことでご尽力いただくことが多かった」とした。
文春に記事が出ることを、妻の三田にも報告した。橋之助は「もちろん謝りました。きつくきつく叱られました。時間も忘れるほどでございます。普段は物静かですが、大きな名跡を継ぐ認識が足りないのでは、と言われました」と振り返った。
結婚25年。芸能界のおしどり夫婦で知られる橋之助と三田。歌舞伎役者の遊びは芸の肥やしと言われることについては「夫婦間でそういう認識はしていない」ときっぱり話した。離婚に進む可能性には「ないと信じております」。
夫の襲名だけでなく息子たちの襲名も控えている三田にとっては毎日、関係各所へのあいさつ回りや、配り物の手配などで奔走している時期。さらにおわび行脚が加わってしまった。橋之助は「僕以上に家内の胸は張り裂けていると思う。僕のような人間に、よくこんなに長い間、ついてきてくれているなと思います」と妻の苦労を思いやった。
襲名に向けて「おごり、焦りが出た。私の責任」と語った橋之助。妻へのプレゼントは「何より襲名興行を滞りなく行うこと」と話し、深々と頭を下げて会見を終えた。【小林千穂】
<一問一答>
-襲名のお練りにAさんを呼んだ
私も知らなかった。(日時は)公表していたので知っていたと思います。
-ホテルに泊まってはいない
もちろんです。
-過去に食事は
多分あったと思います。
-Aさんとは連絡はもうとっていない
はい。
-京都でまた食事する
お客さまを呼んでいただいたり、お目にかかることはあると。
-三田は許したのか
許す、許さないより、襲名が先。
-子供たちには
話しています。
-父中村芝翫さんは何と言うと思う
父にも申し訳ないことをしました。
-歌舞伎俳優によくある話
そういう認識を皆さんに与えたことは、先輩、後輩、同輩にもおわびしないといけない。
-今年は不倫報道がいくつもあった
ただただおわび申し上げるしかない。
-Aさんへは
京都の方、皆さん支えてくれた。その方を含めておわび申し上げたい。
◆中村橋之助(なかむら・はしのすけ)1965年(昭40)8月31日、東京都生まれ。本名・中村幸二。7代目中村芝翫(しかん)の次男で、70年に「柳影沢蛍火」で舞台デビュー。80年の「曽祖父5世中村歌右衛門追善公演」で3代目中村橋之助を襲名。91年に三田寛子と結婚。97年のNHK大河ドラマ「毛利元就」で主演を務める。兄は中村福助。血液型O。