南海キャンディーズの山里亮太(40)が、売れていない頃に世話になっていた人物から優先的に仕事を斡旋され、先輩芸人たちから陰口を叩かれていた当時を振り返った。

 山里は20日放送のTBSラジオ「たまむすび」に出演。平昌五輪の話からの流れで、自身が一時期やっていたという「フラッグフットボール」の思い出を語った。

 南海キャンディーズ以前に組んでいたコンビ「足軽エンペラー」時代に、世話になっていた放送作家の“師匠”にあたる人物が作ったフラッグフットボールチームに誘われ、断る選択肢もないままに続けていたという。毎週のように早朝からハードなトレーニングをやらされていた苦労を振り返ったが、その一方で、有力な業界関係者とつながりができたことで、テレビ番組の前説といった仕事が与えられたり、オーディションを優先的に受けられるなどのメリットもあったと明かした。

 しかし周囲の芸人仲間からやっかみを買うことになり、「ほかの先輩たちからすごい悪口を言われていたのは聞いていた。『あいつらはそういう、力のある人のところでそうやってスポーツとかして関係性作ってやってて、そんなんまでして売れたいかね』って」と陰口を叩かれていたという。しかし山里は「そんなんまでしても、売れたいの」とキッパリと言い切った。

 続けて、陰口を叩いていた先輩芸人たちについて「でも『そんなんまでして売れたいかね』って言って、じゃあオレたちがアメフトやってた時に、君たちなにやってたの? 寝てたんじゃねえの? って俺は思うんだよね」とチクリ。「起きてめちゃくちゃライブやりまくってお笑いの腕めちゃくちゃみがいてる人が俺に『そこまでして売れたい?』って言うんだったら、『いやぁ確かにもっとお笑いのことするべきなんですよ』って言えるけど。その人たちは別にその時何もやってなかったし。それにもう(この業界に)居ねえし」と切り捨てた。