フリーアナウンサー生島ヒロシ(70)の連載「生島ヒロシ6000回の歩み」。来月5日にパーソナリティーを務めるTBS系ラジオ「生島ヒロシのおはよう定食/一直線」(月~金曜午前5時)が、1998年(平10)4月6日の放送開始から6000回目の放送を迎えるの記念して、その生きざまを振り返る。

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法大を2年終了時で中退して、1971年(昭46)7月に渡米しました。ロサンゼルスで空手ショーに出たり、ディズニーランドホテルでバスボーイ、そしてアメリカ人宅に住み込みでハウスキーパーをやりました。でも料理で失敗して、クビ。それから、イチゴ畑でメキシコ人と一緒に働き、園芸店でクリスマスツリーを作ったりもしました。

1年たったところで、2000ドルたまったんです。1ドルの相場が300円くらいの時代ですから、60万円くらいです。それで、外国人向けの英語能力テストのTOEFL(トーフル)を受けました。英語の勉強は結構、頑張っていたんで、どこの大学でも行ける成績だったんですけど、授業料が年間750ドルと安いコミュニティーカレッジを選びました。公立で、大学入学前に通う学校です。テレビの仕事をやってみたかったので、フルトン・コミュニティー・カレッジのテレビ学科に入りました。

隣にカリフォルニア州立大学のフルトン校があって、そこにケビン・コスナー(66)がいました。来日した時にインタビューして「俺はフルトンにいた」って言うと、すごく喜んでくれて。「俺、隣のステートユニバーシティー(州立大)だ」って。僕がバイトしていたところを「知ってる、あの店」と盛り上がりました。

そういう経験を、後にハリウッドのスターたちと語り合うとは、その頃は夢にも思っていませんでした。トム・クルーズもニューヨークでバスボーイをやっていて、その話で盛り上がりました。そういう若い頃の話をするとアメリカのスターは、みんな喜んでくれるんですよね。他にアーノルド・シュワルツェネッガーやシルベスター・スタローンも。お金では買えない、貴重な経験をさせてもらったと思っています。

アメリカに渡って、そこまでバイトやりながら大学に行って、最後は優秀成績賞で卒業したんで。これはしっかり言っておきたいんですが、そんなに多くはいないと思うんですよ(笑い)。うちの息子2人も、アメリカやイギリスに留学させました。自分のように、世界に出て見聞を広げさせたいという親心です。次男でコンテンポラリーダンサーの(生島)翔(35)は、すごくレベルの高いニューヨーク大学に行きました。今年の世界の大学レベルで26位。東大が36位で、京大が54位ですから。彼は優秀で3年で卒業しました。

それでも彼らは、僕みたいに全部の学費、生活費を稼いだわけじゃないし、海外での生活の大変さも知っている。だから、それを全部乗り越えたっていうことには、敬意を払ってくれている、はずです(笑い)。口には出しませんが、2人では話してるみたいです。

コミュニティーカレッジに1年通って、やっとアメリカのキャンパス、大学に入れるわけですよ。カリフォルニア州立大ロングビーチ校の生徒になりました。ここでジャーナリズムを学んだことが、今へとつながってくるんです(続き)。

◆生島(いくしま)ヒロシ 1950年(昭25)12月24日、宮城県気仙沼市生まれ。71年に法大経営学部を中退して渡米。75年カリフォルニア州立大ロングビーチ校ジャーナリズム科卒。76年TBS入社。89年にフリー。現在のレギュラーはTBSラジオ「生島ヒロシのおはよう定食・おはよう一直線」(月~金曜午前5時)。長男は俳優生島勇輝(36)次男は俳優生島翔(35)。血液型A。