1975年(昭50)に米アカデミー賞外国語映画賞を受賞した黒澤明監督の映画「デルス・ウザーラ」の製作に関わり、映画製作・配給会社アスミック・エースの社長などを務めた、映画プロデューサーの原正人(はら・まさと)さん(本名山田良雄=やまだ・よしお)が17日に亡くなったことが29日、分かった。89歳だった。アスミック・エース関係者によると、死因は心不全で17日夜に亡くなったという。故人の遺志により、通夜及び葬儀は近親者のみで執り行った。

原さんは、早大理工学部建築学科中退後、独立プロダクションを経て58年に洋画配給会社のヘラルド映画に入社。69年に手塚治虫さんのアニメ映画「千夜一夜物語」の製作に関わると、81年にはヘラルド・エースを設立。大島渚監督の83年「戦場のメリークリスマス」でエグゼクティブ・プロデューサー、篠田正浩監督の87年「瀬戸内少年野球団」、黒澤監督の85年「乱」、森田芳光監督の97年「失楽園」などでプロデューサーを務めた。

映画の製作と並行し、洋画の秀作を単館系の映画館に配給し、ミニシアターブームの礎を作った。98年には住友商事の子会社と合併して社名を「アスミック・エース エンタテインメント」に改め、代表取締役社長に就任。その後同社会長、相談役を経て、16年まで特別顧問を務めた。その後は、亡くなるまでHara Office代表を務めた。