コメディアン、ぜんじろう(53)が20日に東京・下北沢の小劇場・楽園で開催される公演「スタンダップコメディGO! Vol.2」(午後6時30分開演)に出演する。他に清水宏(55)、ラサール石井(66)、インコさん(45)が出演する。90年代前半に「平成の明石家さんま」としてブレークした、ぜんじろう。スタンダップコメディーの旗手となるまでの歩みを聞いた。

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東京進出で挫折して、関西に戻った。捨てる神あれば拾う神あり。1992年(平4)秋に関西ローカルで始まった、司会を務めた毎日放送の深夜番組「テレビのツボ」が大ヒット。レギュラー17本という人気者になり、95年に再び東京進出。日本テレビ「超天才・元気が出るテレビ!!」のレギュラーに起用され、同局で冠番組「ぜぜぜのぜんじろう」も始まった。だが、また不発に終わった。

「ちゃんと僕のことを見ずに、流行ってるからとブッキングしたんですよ。あるところは上岡(龍太郎)の弟子やから、上岡っぽいやつやとと思ってブッキングするんですよ。また、あるところでは関西で人気だから、ダウタウンさんやと思ってるんですよ、アイドル的にね。で、顔が(明石家)さんまさんっぽいから、さんまさんやと思ってるテレビマンもいるんですよ。入ってくる番組、メチャクチャですよ(笑い)。どれでもないんですよ。どっちかというと、上岡に近い、深夜の感じなんですけどね」

まだ、関東のテレビ番組では、関西弁が完全に受け入れられていない時代だった。素直に受け入れられたのは明石家さんまだけ、島田紳助は苦労していた。その後、ダウンタウンが天下を取って関西芸人が普通に東京で受け入れられた。

「今の日本維新の会みたいなもんですかね。もしかしたら都民ファーストになってしまうかもしれないけど(笑い)。紳助さんは東京を好きじゃなかったんですよね。さんまさんはメジャー好きで、東京好きですよね。上岡も東京を好きじゃなかったんですけど、上岡はお金が好きですから、東京で司会をやるようになって大好きになっていましたね(笑い)」

2回目の東京進出が不発になりつつあった96年、紳助から声がかかった。冠番組の関西テレビ「紳助の人間マンダラ」のレギュラーに呼ばれた。

「紳助さん偉いなと思ったのは、僕にお願いに来たんですよ。“ぜんじろう、『人間マンダラ』っていう番組が、ちょっと限りが見えてきた。俺もおっさんになったから、若い人に夢を与える番組なのに、おっさんばかり出てるから肩凝ってしょうがない。もしよかったら、この番組入ってくれへんか”と、頭下げてきたんです。そんな、出ますって言ったんですけど、僕が入ってもっと人気なくなったんです(笑い)。というオチがついたんですけど、でも、切ってもらえなかった」

(続く)。

◆ぜんじろう 1968年(昭43)1月30日、兵庫県姫路市生まれ。大阪芸大芸術学部デザイン学科中退。87年、上岡龍太郎に入門、吉本興業に所属。88年月亭かなめとの漫才コンビ、かなめ・ぜんじろう結成。同年、今宮子供えびすマンザイ新人コンクールで福笑い大賞。89年(平元)、ABCお笑いグランプリで最優秀新人賞、上方漫才大賞新人奨励賞も、解散してピン芸人に。92年、毎日放送「テレビのツボ」司会でブレーク。95年「超天才・たけしの元気が出るテレビ!!」。98年渡米。01年帰国。170センチ、57キロ。