長渕剛(65)が東日本大震災から丸11年を迎えた11日、宮城・石巻市慰霊碑で行われた石巻市追悼式に参列した。震災直後から同市を訪れ被災者を激励した長渕は、約3700人の犠牲者の名が刻まれた慰霊碑の前で3曲を献歌した。亡くなった方々に向けた「100年かけても眠るんじゃないぞ!!」という魂の叫びが響き渡った。

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震災から10年が経過した昨年、慰霊碑は石巻南浜津波復興祈念公園内に建立された。コロナ禍で、碑を前にした公式の追悼式は今回が初めてだった。

長渕は震災直後から石巻市の被災地を何度も訪れ、歌で激励した。その行動で市から献歌を願われた。「歌をたむけに行きたいという思いはずっとあった。機会をいただき感謝しています」。

地震発生の午後2時46分に防災サイレンが鳴り、黙とうをささげた。齋藤正美市長の式辞の後、長渕が「ひとつ」(11年)「愛おしき死者たちよ」(12年)「REBORN」(21年)の3曲を献歌した。ステージで「亡くなった犠牲者の方々、石巻の海に眠る魂たち。想像を絶する無念の涙を抱き締め、希望の道を指し示してくださったご遺族の方々。弔いの意を込めて歌います」と話した。

「ひとつ」は、震災が起きた11年末のNHK紅白歌合戦で、同市内の門脇小から生中継で歌唱。同小は震災遺構として慰霊碑の近くに残る。ひとつになって生きるという歌詞は、亡くなった者と残された者への誓いだった。コロナ禍で生まれた新曲「REBORN」(再生の意)の「人は何度でも生まれ変われる」というメッセージは、被災者の再起と重なった。

「愛おしき死者たちよ」は特に歌いたかった。本来なら「安らかに眠ってください」だが、長渕は死者に「100年かけても眠るんじゃないぞ!!」と歌う。「(慰めだけでなく)死者を弔う歌、亡くなって行く者の視点に立った歌を書かねば」と思ったという。死者たちの無言の怒りで、今を生きる我々に震災の恐ろしさや人間の愚かさを永遠に忘れさせないでほしい、という願いが込められた。長渕の歌声が慰霊碑に染み入った。【笹森文彦】

◆長渕と東日本大震災

▼散文詩 11年4月3日に「憎い 憎い」で始まる散文詩「復興」を発表。

▼ラジオ番組 同4月7日から被災地向けラジオ番組「長渕剛 RUN FOR TOMORROW~明日に向かって~」を開始(9月末まで放送)。

▼自衛隊激励 同4月16日に宮城県東松山町の航空自衛隊松島基地で、約1500人の隊員らを前にライブを行う。

▼1000人と合唱 同6月26日に石巻市の日和山公園で、被災した小学生ら1000人と「TRY AGAIN for JAPAN」を合唱。

▼被災地から生中継 同12月31日、8年ぶり3回目出場の第62回NHK紅白歌合戦で、津波で甚大な被害を受けた石巻市の門脇小から生中継で未発表曲「ひとつ」を歌唱。

◆長渕剛(ながぶち・つよし)1956年(昭31)9月7日、鹿児島県生まれ。78年「巡恋歌」で本格デビュー。「順子」「乾杯」「とんぼ」などヒット曲多数。アルバムは「LICENSE」「昭和」「JEEP」など5作連続を含む12作品がチャート1位。04年に鹿児島・桜島で、15年には富士山麓でオールナイトライブを開催。俳優、画家、書道家としても活躍。