俳優、司会者として活躍した柳生博さんが16日、老衰のため山梨・北杜市の自宅で亡くなった。85歳だった。04年4月から会長、19年6月から名誉会長を務めた「公益財団法人 日本野鳥の会」の公式ホームページでも21日、発表された。

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同ホームページでは「当会の名誉会長である柳生博が、2022年(令和4年)4月16日、老衰のため85歳で逝去いたしました。ご葬儀は、4月20日近親者にて密葬が執り行なわれました」と報告。「当会からは、上田恵介会長、遠藤孝一理事長らが、4月19日、八ヶ岳を訪ね、柳生名誉会長に最後のご挨拶をいたしました。なお、後日、八ヶ岳倶楽部主催にて故人を偲ぶ会が催される予定です。故人のご冥福を衷心よりお祈りし、謹んでお知らせ申し上げます」と悼んだ。

同ページでは、柳生さんの功績も紹介。柳生さんが会長職を務めたのは、創設者の中西悟堂さんに次いで長い15年間に及んだ。環境省や国交省といった政府機関、地元行政、農業漁業の関係者、保護団体が一堂に会して、自然や生きものについて話し合う場にも参加し、栃木・小山市の渡良瀬遊水地、北海道・勇払原野などのラムサール条約登録関連のイベントや、生物多様性条約締約国会議など、国際条約に関してのイベントや式典にも参加した。20年のコロナ禍以降は、八ヶ岳倶楽部での活動が主で、日本野鳥の会での活動は一時休止状態だったという。

遠藤孝一理事長は「柳生名誉会長は、『確かな未来は懐かしい風景の中にある』という言葉をよく語っておられました。『私たちが進むべき未来は、人と自然が共存している里山などの在り方がヒントとなる』という意味です。ご本人自らが八ヶ岳に森を作り育てるという実体験を重ねたうえでのこの言葉には大変説得力があり、私たちの心に響くものでした。会長時代は、全国津々浦々の日本野鳥の会の支部を訪ね歩き、その地域の野鳥や自然について当会の会員さんと語り合い、飲み交わすことをとても楽しみにしておられました。そうした親しみやすい人柄から、当会の会員はもちろん、自然保護活動、行政、開発事業の関係者など、かかわりのある皆さんから好かれ、良好な関係を作れるという不思議な魅力を持った稀有な存在でした。今改めて、柳生名誉会長が残してくださった言葉と足跡を噛みしめています」とコメントした。