日本映画界で大きなインパクトを放つ、池松壮亮(31)と藤井道人監督(35)。ともに、芸能や芸術の世界に多数の人材を輩出する、日大芸術学部映画学科出身だが、決して褒められた学生ではなかったようだ。

2人は、6月26日に都内の同学部江古田校舎大ホールで行われた、日藝100周年記念動画完成披露試写会に登壇。映画学科監督コースOBの池松は、脚本コースOBの藤井監督が監督を務めた、日藝100周年記念動画で主人公のカメラマンを演じた。約6分の映像の中で、カメラマンは日大芸術学部100年の歴史の1ページの数々を撮影し、最後に「芸術とは、あなただ」と呼び掛ける内容だった。

上映後、プロジェクトで主導的立場に立った映画学科の松島哲也教授が司会を務め、2人の記念トークが開かれた。同教授は、藤井監督の19年の映画「新聞記者」公開の少し前に、同監督が所属する映像制作会社「BABEL LABEL(バベルレーベル)」の映画「LAPSE(ラプス)」を授業で上映した。その際、同社の山田久人代表と同監督らがゲストとして参加し、学生達とトークする中で「直感としかいいようがないが、新しい風が吹いた。可能性を感じた」という。そして「プラス、池松壮亮という若い、突出した俳優に出てもらえば、夢のコラボレーションがうまれるのではないか」と池松にもオファーし、企画が始動したと説明した。

池松は、松島教授から「通常、長いドラマや映画、さまざまなところで、ご自分で企画を吟味し、出るというスタンスだとお見受けするのですが、短い作品というので感じたことは?」と問われると、口元に笑みを浮かべた。その上で「何より、先生から連絡をいただいて。ちょっと卒業できそうになかった僕を、卒業させてくれた先生なので、二つ返事でやりますと言わせていただいた」と明かした。さらに「100周年を迎えるタイミングで、先生から声をかけていただいて。褒められた学生ではなかったですし、自分が代表して前に出ていって良いかなと思うところもあったんですけど、たまたま俳優をやっていて、1人の日芸生として映像の中に立っていられたら」と続けた。

2人は、松島教授から、学生時代の思い出を聞かれた。まず、藤井監督は「BABEL LABEL」について「実は、会社になったのは卒業してからなんですけど、その前は『ズッキーニ』っていう映画制作サークルのメンバーで」と大学でのサークル活動が前身になっていると説明した。

その上で「ろくすっぽ、大学に行かない学生でございまして、こんなところにいるのも大変、恐縮なんですけど」と苦笑した。必修科目の単位は、2年生までに所沢校舎で取得するといい「必修科目を取れないと、所沢に取り残されるという『3トコ』に、ちゃんとなりまして…でも、無事、卒業できました。すみません」と苦笑した。

続いて、池松も「そうですねぇ…本当に学校、行ってないですね」と苦笑いした。その上で「こんなこと、言って良いのか、あれですけど『3トコ』って、おっしゃってましたけど、僕も『4トコ』っていう、4年生になって所沢校舎に通う、ということをやっていましたね」と、藤井監督以上の“猛者ぶり”を明かした。

では、大学に行かずに何をしていたのか。2人は、それぞれの過去を語った。

藤井監督 サークル活動が大好きで。大学に入って、初めて映像のバイトを始めるんですよね。高校までは、スポーツをやっていて、バイトが出来なかったので。何かをやって、お金を稼ぐのって、すごい楽しんだというので、大学時代は必修科目が少ないので、現場に出て、先輩たちの背中を見て編集を覚えてという感じで。

池松 何か学校に行っても、それこそ松島先生と会って映画の話をして帰るとか。あとは…そうだなぁ。学校に行く途中で映画館に入っちゃったりとか、喫茶店に入って考え込んで、そのまま1日、過ごしてしまったりとか…そういう生活だと思います。

試写会と記念トークには、入学を希望してオープンキャンパスに参加した高校生や、在校生が参加し、熱心に耳を傾けていた。松島教授は、2人にアドバイスするよう促した。

池松 そんなアドバイスできるような立場ではないと思うんですけど…自分が学生の時と、コロナを経て、あまりに大学という場所も変わっているだろうし、自分がやっていた頃と全然、違うとは思うけれど、意志があって芸術に触れたい人は、いくらでもやって欲しい。芸術は人に与えられた武器。社会、他者と接点を持つことを楽しんで欲しいと思いますね。

池松の言葉に、藤井監督はうなずきつつ、語った。

藤井 今の池松さんの話、いいなぁ…。18歳の時は、遊ぶことだって楽しいでしょうし、親元から離れて、ようやく自由だといって授業に出ていなかったんですけど…これは不思議なことで後々、勉強することになるんですよね。あの時、学んでおけば良かった、と、すごく後悔するんです。僕が1こだけ、墓場に行っても、これは正しいなと思えることは、大学で出会った仲間たちと今、まだ映画を作って、仕事しているので、そこで出会った人たちが、やっぱりすてきです。日本中の映画が好きな人が、集まるんですよね。みんなで映画を語り合って…そんな人生、すごいラッキーだなと思ったし、本当に好きな人が集まって毎日、議論できるような学びや。友だち、仲間を大切に、というのは、ありきたりですが一番、大事だと思いますね。

質疑応答で、俳優志望の男子学生から、池松に「俳優を目指していて、第一歩となることを大学で学びたい。俳優になるために面接で、どのような心持ちでいれば良いのか?」と質問が飛んだ。すると、松島教授は「池松さんは、実は俳優を、その(受験)前から続けられてきたんですけど。うちでは監督コースを受験され、監督として4年間…もちろん、その間、プロとしての俳優を続けながら、ある時は仕事をセーブして、単位を撮るためにギリギリですけども、ちゃんと泳いできた。だから、俳優のための面接うんぬんの質問に答えづらいと思う」と助け舟を入れた。その上で池松に、現場で大切にしていることなどアドバイスをするよう促した。

そこで池松が口にした答えこそ、大学の授業を時にはスルーする、褒められた学生ではなかったものの、今のステージに駆け上がった、ゆえんだろう。

池松 (俳優は)誰でもなれますよ。ただし、自分が、どういう風にやっていきたいのか、自分の俳優、芸術人生を、どう進めていくかは、自分で考えた方がいい。俳優は誰でも出来るし、誰でもなれると思っています。ただし、どれくらい続けられるか、どういう表現をしていきたいか…自分で自分と相談すること。本当に限られた、社会に出る前の最後の4年間だと思うので、好きに考えて、悩んで、いろいろトライしてみて欲しい。

2人の話を聞き、松島教授が評した言葉が、最も的を射ているだろう。

松島教授 真面目だけでは、こういうポジションになれないかもしれないので、かといって、ちゃんと勉強もして欲しいんですが。

池松も藤井監督も、大好きな映画と向き合い、自分が何をしたいのか、自分が表現したいものは何なのかに、とことん向き合った大学4年間を過ごした結果が、今なのだろう。大学生としては、真面目とは言えなかったのかも知れないが、映画人としては、どこまでも真面目だった…そこが、2人の共通点なのではないだろうか。【村上幸将】