映画「ゴジラ」シリーズなどの特撮を担当した、特技監督の中野昭慶(なかの・てるよし)さんが6月27日、敗血症のため死去していたことが5日、分かった。86歳だった。

中野さんは旧満州(現中国東北部)生まれで、終戦後の46年に日本に引き揚げた。日大卒業後の59年に東宝に入社。当初は監督助手を務めていたが、特撮映画を手がけていた円谷英二監督から62年「妖精ゴラス」の時に声をかけられ、その下で技術を学んだ。そして、クレージーキャッツが主演した69年のSFコメディー映画「クレージーの大爆発」で、特殊技術の監督としてデビューした。

71年「ゴジラ対ヘドラ」で、初めてゴジラ映画の特殊技術としてクレジットされると、74年の「ゴジラ対メカゴジラ」から特技監督を務めた。当時のゴジラ映画は、69年から78年にかけて東宝が展開した、子供向けの映画を数本まとめて春、夏、冬休みに公開した「東宝チャンピオンまつり」の一環として上映され、低予算を余儀なくされた。その中、中野さんは創意工夫をこらした作品作りに腐心。

75年の「メカゴジラの逆襲」後、ゴジラシリーズはいったん、休止するが、9年の時を経て84年に製作された「ゴジラ」でも特技監督を務めた。低予算路線から一転、ゴジラ誕生30周年記念映画、大作として製作されたこともあり、配給収入17億円とヒットした。

代表作としては、73年に小松左京さんのSF小説を実写化し、パニックものの名作として知られる73年の映画「日本沈没」で特技監督を務めた。同じく、小松さんの小説を映画化した87年「首都消失」では特撮監督を務めた。