今月2日に日本テレビのドラマプロデューサー、加藤正俊さんが亡くなった。54歳だった。

訃報を聞いた時、信じられなかった。人づてに体調がよくないことは聞いてはいたが、まさかこんなに早く逝ってしまうとは思ってもみなかった。

加藤さんは明大を卒業して、フジテレビ系列の共同テレビに入社。プロデューサーとして「お水の花道」シリーズをヒットさせた。01年に日本テレビに移籍して、02年に「ごくせん」をヒットさせた。

02年4月期の「ごくせん」は女優仲間由紀恵にとってプライタイムの連ドラ初主演。その2年前のテレ朝系「TRICK」でブレークはしていたが、極道の娘の教師役を演じた「ごくせん」で今に至る大女優への道を歩み始めた。生徒役からは小栗旬、松本潤、上地雄輔、松山ケンイチらがスターへの階段を上り始めていた。

05年1月期の「ごくせん2」の生徒役からは亀梨和也、赤西仁、速水もこみち、小出恵介、水嶋ヒロを輩出。世帯視聴率平均は28・0%、最終回は32・5%という大ヒットとなった。

加藤さんと会ったのは、08年4月期で3年3カ月ぶりに「ごくせん3」が放送される時だった。沖縄・石垣の竹富島でのクランクインを取材したのだが、その晩に加藤さんと酒を酌み交わしながらドラマ論をぶつけあった。

すごく盛り上がった事は確かだが、大酒を飲みすぎて何を話したか全く覚えていない。それで、東京で仕切り直してインタビューした。

スターを輩出しただけあって、生徒役には600人の応募があったという。加藤さんは、半分の300人に直接会ってセレクションをして、三浦翔平、三浦春馬らの生徒役を選んだ。

02年の「ごくせん」で抜てきした小栗が、TBS「花より男子」をへて、前年7月期のフジテレビ系「花ざかりの君たちへ~イケメン♂パラダイス~」で大ブレーク中だった。

「小栗からは役者として生きて行こうという強い意思が感じられた。『ごくせん』がイケメンブームのきっかけになったという人がいるけど意識したことはない。今、小栗がイケメンの代名詞みたいに言われているけど、それは違うと思う」と振り返った。そして、敏腕プロデューサーらしく「俺が『小栗はイケメンじゃない』って言ったって書かないように」とくぎを刺された。

ドラマ作りを志したきっかけに、日本テレビの「池中玄大80キロ」をあげた。西田敏行主演で、3人の子供を持つシングルマザーと結婚した池中玄大が、その妻に先立たれ子育てに奮闘する物語だ。

「『池中-』を見て、血がつながっていなくても家族になれることを知った。テレビは子供が1人でスイッチを入れたら見ることができる。だからドラマを作っている自分たちには責任があると思う」と熱く語っていた。

仲間由紀恵をはじめ、吉高由里子、杏も加藤さんの作品で、スターへの階段を上った。昨年10月から2クール、半年間にわたって放送された秋元康氏原案の「真犯人フラグ」ではチーフプロデューサーを務めた。

まだまだ、作品やスターをつくるところを、熱く語るところを見たかった。早すぎる死は残念でならない。

冥福をお祈りします。【小谷野俊哉】