歌舞伎俳優市川左團次(いちかわ・さだんじ)さん(本名荒川欣也=あらかわ・きんや)が15日午前3時48分、右下葉肺がんのため亡くなった。82歳。葬儀は20日に家族葬で営まれる。喪主は妻荒川千絵(あらかわ・ちえ)さん。

◇  ◇

左團次さんはサービス精神あふれる人だった。楽屋での取材で健康の話になった時、突然「いいものを見せようか」と上半身裸になった。おなかの手術痕を見せて「これが本当の腹切りだよ」と笑った。

歌舞伎の襲名披露の口上でも左團次さんは出色だった。坂東三津五郎襲名の時に、背があまり高くない三津五郎を若い頃にはやし立てた話として「金もいらなきゃ名誉もいらぬ。わたしゃも少し背がほしい」と言って、三津五郎を苦笑させた。高校の後輩にあたる松本白鸚の襲名時には「高校での彼の勤勉さにはとても及びません。私は稽古を脇に置いて、キャバレー、クラブに通う稽古に専念しておりました」と観客を笑わせた。これも左團次流リップサービスだった。

飾らない正直な人でもあった。公式には3代目左團次の実子とされていたけれど、著書「俺が噂の左團次だ」で、養子であることを明かした。「隠してもしょうがないからね」と。口上の「キャバレー、クラブ通い」も本当のことで、若い頃は大御所も近寄りたがらないちょっとした“不良”だった。麻雀、パチンコが趣味で、朝からパチンコ店に並ぶこともいとわなかった。

38歳で4代目左團次を襲名したが、しばらくは役に恵まれなかった。襲名の時の借金のために、離婚も経験した。しかし、50代からいい役がつくようになった。05年には26歳年下の千絵さんと再婚。奔放なキャラクターからテレビのバラエティー番組に出るようになり、後輩の若手にも愛された。晩年は舞台ぶりの大きい役者として存在感を発揮し、日本芸術院賞も受賞した。「いい加減、人生録」という著書があるけれど、82年の人生を自由に楽しんだ人だった。【林尚之】