スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」などで知られる歌舞伎俳優の市川猿翁(いちかわ・えんおう、本名喜熨斗政彦=きのし・まさひこ)さんが13日午前6時55分、不整脈のため亡くなった。83歳。15日、松竹が発表した。葬儀・告別式は親族葬で執り行う。後日、お別れの会が開かれるという。

歌舞伎界に新風を吹き込んだ人生だった。慶大卒業後の63年に3代目市川猿之助を襲名したが、同年に祖父の猿翁、父の段四郎が相次いで亡くなった。後ろ盾を失い、「梨園(りえん)の孤児」と言われたが、68年に、今でこそ当たり前となっている「宙乗り」を「義経千本桜」で復活させたのをはじめ、早替わりなど「ケレン」と邪道扱いされていた派手な演出を次々と復活させ、エンターテイメント性あふれる猿之助歌舞伎は人気を博した。

さらに86年にはスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」「オグリ」「新・三国志」などを次々と上演し、歌舞伎になじみの薄かったファン層を開拓した。また、市川右團次、市川段治郎(現喜多村緑郎)、市川春猿(現河合雪之丞)など一門の若手を抜てきし、育成した。

しかし、03年の博多座公演中に初期の脳梗塞で降板した。以降、舞台に立つことは激減し、12年にはおいの市川亀治郎に市川猿之助を襲名させ、自らは2代目市川猿翁を名乗った。同時に、実子の香川照之が市川中車として歌舞伎界入りした。

最後の舞台は13年12月の南座「襲名披露口上」。その後も療養生活が続き、18年2月、弟子の市川右團次らが出演した名古屋・中日劇場公演のカーテンコールに登場したのが、公にみせた最後の姿になった。

私生活も波乱万丈だった。65年に舞台共演をきっかけに浜木綿子と結婚し、長男の香川が誕生したが、68年に離婚した。背景には、12歳年上で、日舞の6世藤間勘十郎夫人で女優の藤間紫さんとの関係があった。紫さんは猿翁さんの初恋の人で、夫ある身のためいったん別れたが、その後、愛が再燃し、猿翁さんも離婚後は紫さんとの関係を続けた。85年に紫さんも離婚し、00年に正式に結婚したが、紫さんは09年に亡くなった。

その間、猿翁さんと浜は没交渉で、香川とも会うことはなかったが、紫さんは親子の関係修復に動き、紫さんの葬儀に香川も出席した。香川の歌舞伎界入り後、2人は一時同居するなど、後ろ盾となっていた。

京都造形大の教授を務めたこともあり、00年に紫綬褒章、10年には文化功労者に選ばれた。

晩年は悲しい出来事が続いた。今年5月には弟市川段四郎さんを亡くし、猿之助被告は両親に対する自殺ほう助の罪で来月初公判を控えている。舞台以外のことで名前が挙がることも多かったが、歌舞伎に新しい風を吹き込んだ功績は大きい。

◆市川猿翁(いちかわ・えんおう) 1939年(昭14)12月9日、東京生まれ。父は3代目市川段四郎、母は女優の高杉早苗で、弟は4代目段四郎。團子を経て、63年に3代目市川猿之助を襲名。12年には2代目市川猿翁を襲名した。浜木綿子との間に長男香川照之こと市川中車をもうけ、孫に市川團子がいる。