今月7日から11日、沖縄まで恒例の“アンチエイジングエステ”の旅に行ってきた。

還暦をすぎて、目はかすみ、耳は遠くなり、足ももつれるようになり、パソコンのキーを打つ指もしびれている。年を取ることとは、こういうことかと実感する毎日だ。だが、ここで負けてはいけない。唯一の取りえ、最後のとりでである“実年齢より若く見える”をなくしては、年の瀬を前に“戦力外”通告を受けかねない。

ということで、沖縄・那覇に飛んだ。とは言っても、扱っている商品は1部160円のつつましい生活。3カ月前に予約して、片道8000円の低予算。1泊2000円の割引に、1泊2000円の地域クーポン券「沖縄彩発見NEXT」のお小遣い付きと、お財布に優しい計画だ。

することは東京の休日と全く同じ。沖縄在住の友人を呼び出して、アグー豚のしゃぶしゃぶを食い、酒を飲みスナックで旧ジャニーズを歌う。別の日は、たまたま出張で沖縄に来ていた知り合いのOLと“デート”したが、いまさら恋が生まれるはずもなく、ゲイバーに行って、カラオケで旧ジャニーズを歌う。

その間にも、仕事関係のメールは送られて来るので、那覇国際通りのスターバックスでパソコンを開いて原稿書き。同時期に偶然、森田健作(73)京本政樹(64)酒井法子(52)のご一行様が、北部・名護の高級リゾートでラジオ番組の収録を行った。番組プロデューサーからメールを送り付けられ、原稿を書いたのだが「まさか、休暇を取ってのりPと沖縄?」とあらぬ誤解を招いた。

それでも、さすが沖縄、異常気象もあって、11月初旬だというのに気温が30度にもなった。沖縄に来て、夏用に買ったピンクのアロハを着て、短パン、ビーサンで“夏”を満喫した。

夜の11時近くに羽田に着いた翌日は、近藤真彦(59)のコンサート取材のために京都出張。気温は沖縄の半分の15度だった。「沖縄から京都!?」という声も聞こえてきたが、日本中どこにいてもスマホとパソコンがあれば仕事は出来る。便利な時代になったものだと実感している。

近藤は2021年(令3)4月に旧ジャニーズ事務所を退所。自身の個人事務所のマネジメントで、同年11月2日の中野サンプラザ公演から精力的にコンサートをこなしている。レーシングチームの監督業もあるため、以前は芸能活動を押さえざるを得なかった。今はレースと芸能活動を自身の事務所でバランス良く、しかも精力的にこなしている。

今年はSUPER FORMULAを開催する日本レースプロモーションの会長にも就任。レース界全体を引っ張る立場で“二刀流”をこなしている。

古巣の旧ジャニーズ事務所、SMILE-UP.が一連の補償を終えた後に廃業することには寂しさを隠せなかった。それ以上に心配していたのが、新しく設立予定の事務所とエージェント契約を結ぶ後輩たちのことだ。

自身もジャニーズ事務所を出て芸能活動を行っているだけに、マネジャーを自分で見つけて活動することの大変さを痛感している。

近藤の場合はレースのマネジメントをしていたスタッフに芸能界のことも勉強してもらったという。そして、コンサート関係については40年来の信頼できる“マッチよりマッチを知る”スタッフが大きいという。新旧のスタッフへの感謝の言葉を口にしながら、古巣の後輩への愛情をにじませた。

東京に帰った翌日は、増上寺で、73歳で亡くなった大橋純子さんの通夜を取材した。そして、前日に報告を受けていたバーニングプロダクションの河西成夫さんの訃報も発表された。東京は気温10度まで冷え込んだ。

河西さんに初めてお世話になったのは、1992年(平4)。コーセーの「チューしてよ」というCMでブレークした女優水野美紀(49)のインタビュー。場所は赤坂の喫茶店「アマンド」だった。9年前に郷ひろみが58歳で男の子のパパになった時は「育児が大変だから、早く結婚しなよ」とはっぱをかけられたが、還暦をすぎてしまった。ご冥福をお祈りします。

沖縄から京都、東京、気温30度から15度、10度。芸能界はジャニーズ、宝塚、歌舞伎と、長い間、日本の文化を背負ってきたジャンルが大ごとになっている。それでも新聞は毎日、ネットは1秒ごと。風邪をひかずに頑張ろうと思う。【小谷野俊哉】