タレント萩本欽一(70)が、昨年3月に脳梗塞で亡くなったコント55号の相方、坂上二郎さん(享年76)を“発見”した。欽ちゃんが企画した二郎さんの追悼番組、日本テレビ系「欽ちゃんのありがとう二郎さんツアー」(19日午前10時30分~)の収録が4月30日に行われ、プライベートでほとんど接点のなかった欽ちゃんは、浅草の「フランス座」など、コント55号ゆかりの都内5カ所を訪問。親友の藤村俊二、瑤子夫人らの証言で二郎さんが酒を飲んでいたことを初めて知るなど、素顔、魅力を再発見した。
66年にコント55号を結成以来、約45年もコンビを基盤に活動しながら、欽ちゃんは二郎さんの素顔をほとんど知らなかった。プライベートで食事したのは1回だけ。心優しい二郎さんは、下戸の欽ちゃんの前では、酒を1口も飲まなかった。だからこそ、藤村の話には驚きを隠せなかった。
藤村
「昭和9年会」の仲間。別荘があって、キャンピングカーに乗っていた。よく酒も飲んだ。
欽
えっ、二郎さん酒飲むの?
僕の前じゃ「飲まないよ」って…。
驚きは続いた。
藤村
のど自慢荒らしで、歌手になりたかった。
車だん吉
二郎さんは歌手なんですよ。コメディアンは副業で。
欽
副職で40年もやってたのか。いつも「自由にやってよ。応援するよ」と。コンビとはひと言も言わなかった。(ネタも)二郎さんから100%なかった。
奇妙な2人の距離感に、常に不仲説、解散説が。
欽
テレビ局は仲悪いと思って、変な気配りをするし。活字も仲が悪いって書いた。そんなことないのに。コンビは仲良くなくてはならないの。プライベートで付き合うと、嫌な面も見えて仲悪くなるでしょ。だから付き合わないの。
ネタ合わせは一切なし。欽ちゃんが本番前に「そこにおけ持って立ってて」などと指示するだけ。二郎さんは跳び蹴りに耐え、突然のアドリブに戸惑いながら、ボケ続けた。
欽
コント55号はアドリブ!
ボケと突っ込みじゃなく、迷惑かける人(自分)とかけられる人。
二郎さんは家庭では無口だったが、コンビ結成直前、正座して瑤子夫人に伝えた。「1年だけコントやらせてくれ。それからタクシーの運転手やるから」と2種免許も取得した。歌手の夢を心に秘め、背水の陣でコント55号にかけた。
欽
タクシーをやらせなくてよかった。飛びます!飛びます!じゃ危ないから(笑い)。でも、そんなに俺にかけてくれていたのかと。照れくさくて「ありがとう」と言えず「飯食いに行こう」と言っただけなのに、奥さんに「欽ちゃんと食事をして、すごい幸せ」と。あれだけぶったたいても、奥さんにも弟子にも、愚痴を言わなかったというんだ。人間としてできているのは二郎さん。「最後まで55号やるぞ」って言ったら、二郎さん「当たり前じゃない」って。すてきな恩人です。【構成・山田準】