「お~」。若き勝負師の「座右の銘」が披露されると、出席者から感嘆の声が上がった。
11月13日に、首相公邸内で行われた藤井聡太8冠への内閣総理大臣顕彰式。岸田文雄首相から顕彰状と記念の盾を手渡された藤井8冠は、返礼品として将棋盤と駒を首相に贈ったのだが、その将棋盤が入った木箱のふたの裏に「雲外蒼天」と揮毫(きごう)されていた。冒頭の「お~」は、木箱のふたがあけられて、この揮毫が披露された瞬間の声だった。岸田首相もふたをあけると興味深そうにその字に見入り、将棋盤を持つ藤井8冠の横で、「雲外蒼天」と書かれた木のふたを手にして、満面の笑みで写真撮影に応じた。
「雲外蒼天」は、かねて藤井8冠が色紙に記している言葉として知られ、「どんな試練でも、努力して乗り越えれば、快い青空が望める」という意味を持つ。「増税メガネ」の呼称に代表されるように、岸田首相が満を持して経済政策を打ち出しても、国民の心に響く内容とはほど遠く、足もとでは「適材適所」の人事だと胸を張った日がうそのように、政務三役の「辞任ドミノ」&疑惑がいまも続く。まさに「試練」の中にいる岸田首相に対しては、藤井8冠から激励するような言葉のようにも感じられ、実際、顕彰式後にはSNSでも話題になった。
ただ、本来は迅速、丁寧に行うべき説明や判断が足りなかったり遅かったり、衆院解散総選挙をめぐって、こちら側を翻弄(ほんろう)したり。「試練」を招いたのは首相自身という側面もある。勝負師が対局での勝利を目指し、さまざまな研究や練習で試練を乗り越えようとするプロセスとは、少し状況が異なるが、「努力」という意味では共通するものがあるような気がする。説明する努力、的確な判断を行うための努力、思いを伝えようとする努力…。水面下ではやっているのかもしれないが、そこが、どうしても国民に見えてこないところが、現在の首相の苦境、試練を招いているような気もする。
首相が藤井8冠と面会する直前、永田町では税金滞納と4度の差し押さえを認めた神田憲次財務副大臣が「辞表提出」という形で更迭される事態が起きていた。顕彰式はもともと決まっていた予定だったが、その後のさまざまな国会&外交日程を考えると、その日に更迭判断をせざるを得なかった。ただ、藤井8冠に対する顕彰式という晴れやかな場には、やや水を差すような話題だった。それも、その前週に財務副大臣なのに税金滞納を認めていた神田氏の進退を、週明けまで引っ張った首相の判断が、大きな要因だった。
目の前の試練を乗り越えるのに、「努力」だけではどうにもできない「政治的センス」というものを感じざるを得ない、一件だったようにも感じる。ただそうした政治的センスを補うのも、日ごろの努力だったりするはずだ。
式典後のぶら下がり取材で、藤井8冠にどういう思いを込めてあの言葉を首相に贈ったのかを聞いてみた。藤井8冠は「私が普段からよく揮毫している言葉ですが、雲の上に青空が広がっているということで、努力をしてさらに実力を高めていくことで、これまでと違った景色が見えるのかなという思いを込めて書いています」と答えた。普通の人間には想像できないような努力を日々、重ねているだろう勝負師の言葉には、将棋界の頂点にのぼりつめた今の立場を考えれば、強い説得力があった。
その言葉を贈られた岸田首相は、内閣支持率もどんどん低下し、現在の政治状況のままなら、「危険水域」の20%台から「魔」の領域ともいわれる10%台代に陥る日も、遠くないのではともささやかれている。2000年以降のさまざまな世論調査で、内閣支持率が10%台になったのは森喜朗氏や麻生太郎氏ら一部の首相しかおらず、いずれも退陣に追い込まれている。
足もとが揺らぎつつあるさなかに贈られた、藤井8冠からの言葉。久しく発揮されていないように思える「聞く力」を発揮する、またとない機会のようにも感じられる。直々に手渡されたあの「金言」は、試練だらけの首相の心にどう響いていくのだろうか。【中山知子】(ニッカンスポーツ・コム/社会コラム「取材備忘録」)


