昨年12月のデビュー以来、公式戦では負けなしの20連勝となった最年少プロ棋士、藤井聡太四段(14)。22連勝の記録を持つ羽生善治3冠(46)の記録も視界にとらえている。将棋界の第一人者を上回る可能性を秘めた天才棋士はいったいどんな少年なのか。素顔に迫った。

 名古屋市中心部から北東へ約20キロ。古くから「瀬戸物」の産地で有名な愛知県瀬戸市で、藤井四段は両親と兄と暮らす。父正史さん(48)は大手住宅メーカーの会社員。専業主婦の母裕子さん(47)によると、幼いときから「好きなことはとことん熱中するタイプ」という。

 5歳の夏、祖母からもらった将棋セットで覚え、すぐ夢中になった。祖父の訓一(くんいち)さん(昨年2月に死去)から初歩の手ほどきを受けたが、熱心さとのみこみの早さから祖父では物足りなくなった。

 5歳の冬から自宅近くの「ふみもと子供将棋教室」へ。週3回、1日3時間、将棋を学んだ。20級から1年間で4級へ昇級。1年間に16級昇級した記録は同教室になく、文本力雄塾長(62)は「小学校高学年の子どもならまだしも、幼稚園児ですからね。驚異の上達力でした」。

 将棋を始めたころ、迷路づくりにも熱中した。新聞広告の折り込み広告の裏面いっぱいに描いた。スタートとゴールを決め、どの道を残し、どの道を分岐させるのか。将棋と似ている感覚があったのか、裕子さんによると「気が済むまで何時間でも集中して書いていた。大人でも解けないような難しい迷路もあった」。木登りも熱中した。「自宅の庭にあるクロガネモチの木によく登っていた」。活発な少年は、家庭訪問した小学校の担任の先生を木の上から出迎えて驚かせた。

 デビュー20連勝中の藤井四段は、勝負への執着心は半端ではない。小学低学年の時は負けると、将棋盤にかじりついて泣いた。小学4年で奨励会に入った直後、師匠の杉本昌隆七段(48)とハンディなしで2局指し、1勝1敗。師匠は「2局目に私が勝ったとき、絶望のどん底のような表情だった。そもそも1局目で勝った時もうれしそうじゃなかった。普通は師匠に勝ったら満面の笑みで喜ぶ子が多いはずですが」と笑った。

 師匠は言う。「彼にはありふれたアドバイスは必要なかった」。真っすぐに伸びてきた藤井四段。プロになり才能がさらに大きく開花している。【松浦隆司】

 ◆藤井四段の今後の対局 7日に上州YAMADAチャレンジ杯で都成竜馬四段。勝てば阪口悟五段。さらに勝てば、ブロック決勝戦。最大1日3局。10日には第3期叡王戦で梶浦宏孝四段。勝てば、都成四段対井出隼平四段の勝者と。最大1日2局。15日は順位戦C級2組で瀬川晶司五段。