東日本大震災の津波で犠牲になった宮城県石巻市立大川小の児童23人の遺族が、市と県に損害賠償を求めた控訴審の証人尋問が14日、仙台高裁(小川浩裁判長)で行われ、市教委側が市内の学校を集めた「学校安全対策研修会」で、海のない山梨県の防災マニュアルを参考に示していたことが分かった。証人として出廷した元市教委教育総務課の課長補佐が明かした。

 理由を問われ「分かりやすかった」と話し、開催した10年1月には、津波対策に合った事例が見つけられなかったと説明した。

 当時の柏葉照幸校長も証言台に立った。同校には災害発生時のために、児童引き取りの登録者を記入した「防災用児童カード」の学校提出を求めていたが、柏葉氏が着任した09年度以降は、実施されていなかった。にもかかわらず、同校の「教育計画」には同カードの運用が明記されており、原告弁護人は「教育計画は毎年、市教委に提出する。うそをついているようなもの」と断じた。柏葉氏は「私の落ち度だ」と語った。

 震災当日は年休で同校に不在だった柏葉氏。震災の2日前、三陸沖で最大震度5弱の地震が起き、10日も断続的に余震があったが、柏葉氏は10日に休暇届を提出したことを明かし、「不在時に大地震が起きたら、という思いにはならなかったか」と聞かれ「予測してなかった」と答えた。

 遺族の佐藤和隆さん(50)は「こんな防災意識が低かったとは情けない。海や川が多い石巻市。よく山梨県を参考にしたと言えたなと思う」と憤った。次回は20日に、後半の進行協議が行われる。【三須一紀】

 ◆大川小の被害メモ 校舎は海岸から約4キロ離れていたが、津波が北上川をさかのぼり、川沿いの学校敷地を襲った。全校児童108人、教職員13人中、校庭にいた児童74人と、校内にいた教職員10人が亡くなり、東日本大震災の学校管理下において最悪の災害となった。1審では昨年10月、県と市側に約14億2660万円の支払いを命じたが、県と市は控訴。それを受け、原告側も控訴していた。